実家の姉より(認知症で入院中の)母親の容態が悪化し今のうちに身内の方を呼んでくださいと医師から言われたとメールが入り、急いで翌日の飛行機を予約。
本日午前9時前の中央線に乗って羽田へ。中央線はこの時間でも通勤客で混雑。過去の自分をかえり見てなんと人生の無駄使いをしていたのだろうと改めて感じました。
PC一台でどこでも仕事ができるリモートワークが昔にあれば。
なんて考えながら実家のある札幌へ飛んだが飛行機はこの緊急事態宣言が解除されて間も無くでもほぼ満席。さらに航空運賃は時価なので2年前の年末年始の運賃より若干高くなっていました。
朝食を取れなかったのでJR札幌駅のJRタワーの茶店でサンドイッチとコーヒーを。スタバのサンドイッチは全国どこでもまずいので他の茶店で。
姉と地下鉄の駅で待ち合わせてタクシーで病院へ。
札幌郊外にあるこの病院は精神科、認知症の患者が多く入院しているそう。
病院には亡父の会社員時代の同僚(91歳)が既にきておりしばらく待たされて姉、親父の同僚、私の3人が面接部屋で母親と面会。
移動式ベットで母親はベットの中で眠って入るようです。
顔は全く別人で痩せ細り入れ歯を外していたせいで口がすぼんでいる。(私は母親が入れ歯をしていたことさえ知らず。)
姉や親父の同僚がいくら母親に声をかけても目を閉じたままの母親。
しかし姉が母親の薄くなった髪を撫でてやると目を開きました。
ただし目を開いても起きているのかどうかわからず何の反応もなし。
面会時間は10分程度と決められているのでそろそろ時間か、と思っていると突然目を大きく開き唸るというのか叫ぶのいうのか「うぅ〜」「うぅ〜」「ヒィ〜」「ヒィ〜」と人間とは思えない声を発声し始めました。
姉が「痛いの?」「痛いの?」と聞いても同じ発声音を出します。
そしてまた目をつむり目を開けることがありませんでした。
ちょうどそのあたりで介護しか看護師がもう面会は終わりですと部屋に入ってきました。
私はこの部屋の雰囲気に全く慣れず何も母親に声をかけることはできませんでした。
自分の母親とは思えなかったのです。
今年2月にトイレで脳梗塞になり入院。左半身不随となりその後認知症が悪化し現在の病院に入院。
脳梗塞の影響で食事を受け付けず点滴での生活。
ここまでは姉のメールで知っていたのですがここまで顔が変わるのかと驚くよりほかありません。
父方の母親、つまり私の祖母も都合10年程亡くなりまで自宅近くの老人病院に入院していましたが比較的頭は冴えていたようです。
親父の同僚はなんだか私の母親と祖母の顔が似ていきたね、なんていっていました。血縁はないのですが。
年をとり病気になって寝たきりになると皆同じ顔になるのかもしれませんね。
タクシーを呼んで3人で最寄りの地下鉄駅へ。
札幌郊外はもう紅葉です。
そこで解散し姉と私は地下鉄で自宅へ戻りました。
姉は胃の調子が悪いらしく夕食なし。
姉の指示で夕食はスーパーで自分で買い物してということで病院へ行く前にイオンで「日本一」の焼き鳥と発泡酒を買いました。「日本一」は吉祥寺の駅ビルにもあるので札幌にもあるのかと驚いた次第。
7月からテレビが故障しているということで買えばいいのに面倒くさいということで毎日ラジオを聞いているようです。
そんなわけで私は今地元ラジオ局の誰ともわからないパーソナリティの話を聞きながらブログを書いているのです。
これも人生。
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