毎日茶店でブログを書いたりネットサーフィンをしています。先週末の土日でいつものように茶店PC操作していると、高齢者の声が聞こえてきました。
神保町のドトールにて
岩波ホールで映画の整理券をもらうために早めに映画館へ行き開演までの時間ドトールで筋トレ関係のネットサーフィンをしていました。
向かいに座っている70代中頃と思しき2人の男性が話しているのが耳に入ります。周囲には1人若い女性がイヤホンをしながら何やら勉強しているくらいで静かだったので余計に彼らの声が通ります。
2人はどうも同じ会社の同僚だった、もしくは大学の同級生だったらしくお互いタメ口ですが、一人の方が結構上目線の物言いであちこち転勤していたらしく北海道滞在の話やら現在住んでいる長崎県の話やらしていました。
もう一方の男性は、どうも転勤がなかったらしく比較的静かな物言いです。
上目線男性の父親の認知症
どちらも会社員時代の話や年金、健康の話をしていましたが、上目線の物言いの男性が両親の話をし始めました。
父親が認知症(アルツハイマー型ではない)になって家中に大便をしていた。母親がそれを掃除していたが、(やがて)自分らが手伝いに行くと「お前たちはもう来るな」といっていた。父親が亡くなるとその後すぐ母親もなくなった。
と淡々と話していました。
さらに、年金は月20万もらっているから年間240万、女房は年間80万もらっているがこれで生活している。
また年に一度北海道へゴルフをしに行くが100万円使う、とも。(どうも出身は北海道らしい)
物静かな方の男性はその金額に驚くが、上目線の男性は、知り合いに医療費に月4万も5万も使うやつがいる。それに比べたら(これだけ使ってゴルフをやって)健康でいる自分の方がマシだろう、と。
午前中のドトールはどの店舗も高齢者の溜まり場
物静かな男性は、周囲を見渡しながら昔喫茶店というのは会話する場所だったが今はそうでもないねぇ、みんな静かだ、もう昔のような喫茶店というのはなくなったのだろうか、と。
自分たちの声しか聞こえないので驚いている様子。(あんたはどこから出てきたんだ!と突っ込みたくなりました。)
すかさず上目線の男性は今はデジタルの時代だからだ、とのたまっています。(デジタルというのはSNSのことでしょうね。)
俺も飛行機やホテルの予約をするときはネットを使っている、とも。
久しぶりだったんでしょう、色々な話を長々と話して帰って行きました。しっかし田舎臭かったなぁ、田舎の人は基本的に声が大きいですから。
しかし、午前中のドトールは、どこの店舗も高齢者の溜まり場です。やっぱりスタバやタリーズと比べると安いからでしょうね。コーヒー(ホットSサイズ)220円ですから。
したがって、ドトールでは認知症の話の比率も多くなるというわけです。
新宿のサンマルクカフェにて
私がカウンターの空いている席に座ると隣には70歳ほどの女性が2人並んで話し込んでいました。学生時代のクラスメートか会社員時代の友人のようでした。
私は集中してブログを書いていたので神保町のドトールでの会話ほど耳には入ってきませんが、どうもこちらも認知症についてのようです。
「私は左手を使うようにしている」という話し声が聞こえ、その次に「認知症予防にいいの」なんてことも。それも2人とも真剣に話し込んでいます。身の回りに認知症の人がいるのか、それともマスコミ、特に週刊誌に脅されたのか。
おそらく普段使わない左手を使うことによって脳を働かせるという意味だと思います。
2日続けて認知症の会話。
筋トレも認知症予防に効果があると言われています。運動は脳を刺激し認知症を予防するというのは以前からある話です。
ただし、「脳トレ」は認知症に効果があると認められていません。
基本は心臓にいいことは脳にもいいということのようです。
私の母親はアルツハイマー型の認知症で現在要介護2のはずです。
同居する姉への暴言、幻聴、妄想、夜の外への徘徊、いろいろなことがあり現在は小康状態のようです。(多分!)
まだ室内でうんこを撒き散らすことはありません。
長生きはいいこと?
長生きすることでこのようなことが起こってきます。昔はこのような病気があったとしても少数だったでしょう。寿命が延びたおかげで認知症やガンなどの発症率が高くなったのです。
私は基本的に長生きはしたくありませんね。今後さらに加齢になってあっちが痛いこっちが痛いなんて言って永の病院通い、もしくは入院するなんてまっぴらです。
もっともまっぴらと言ってもなる時はなるのですが。
早く「安楽死」が法的に認められるような時代が来ればいいと思っています。
こういう私ですが、いざ余命3ヶ月などと言われると、「やったぁ〜!」「死ぬまでにやりたいことをやるぞ!」なんて思っていてもその頃は体も自由に動かず、お金もなくただじっとして死を迎えるだけかもしれません。
そしていざ死を迎えると「死にたくない」なんて小心者らしく言ってしまいそうです、私はきっと。
みっともない、見苦しいですね、私は。
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