アイキャッチ画像:朝日新聞
2回目の緊急事態宣言で少しは東京の街中も空いてきたような印象を与えますが、それでも去年4月のときほど人出が少なくなったわけではありません。
相変わらず二階堂幹事長の顔色ばかり伺いはっきりしない発言が多い菅首相とコロナ禍を政争の具としている小池都知事の超自己中な性格が災いしています。
そんなコロナ禍で社会の底辺にいる人たちはどんな生活状況なのでしょうか。
コロナ禍で仕事を失った人やホームレスどう年末年始を過ごしたのでしょう。
都内の幾つかの公園ではあるキリスト教団体が炊き出しをしたりNPO支援団体が弁護士や医者を揃え相談コーナーを作り適切なアドバイスをしたり食料支援をしたりしていたようです。
こういう団体はまだまだ少数派です。私も何かボランティアができないかと考えることもあるのですがなかなか実行に移せないでいます。明日は我が身なのに。
将来の自分を見るようで辛いのかも。
余談ですが私の祖母は80歳前後のときに近くの老人ホームに雑巾を縫って寄付していました。その後祖母自身が近所の老人専門病院に入り寝たきりのまま逝ってしまいました。
元気だったのですがだんだん腰が曲がってきて2度ほど家の中でつまずいて骨折してしまったのです。
筋トレしていればあんなに腰が曲がることはなかったでしょう。私が若い頃から筋トレをしていれば教えてあげたのですが。
自分はまだ恵まれているんだなと思うときもありますが、理想はいつものように経済破綻する前にポックリ逝くことです。
目次
スーパーで働くシングルマザー
7歳の子供を抱えてスーパーで働くシングルマザーは自分がコロナに感染したらどうしようと不安で仕方がない様子。子供のためにフルで仕事ができないので1日4時間労働となり自治体の支援を受けるもかつかつの生活。
こういう支援はありがたい。
建設労働者
50代男性は正社員として建設会社で働き寮生活をしていたが会社がコロナで傾いて会社を追い出される。ネットカフェ生活をするもお金が尽き路頭に迷い支援コーナーに。
暖かい弁当が身にしみる。
アパレル系正社員
アパレル関係の仕事をしていたが会社が倒産。仕事を探していたが家賃を滞納しアパートを出る。ネットカフェで寝泊まりしていたが預金が尽き路上生活になった30代の男性。夜は寒さでじっとしていると死ぬのではないかと思い一晩中歩き回る。
人肌に触れた。
腰を90度以上曲げて歩く老人
新宿駅南口を両手にポリエステルの大きなバッグを持ち腰を90度以上曲げて歩く老人。性別不明。
全身黒っぽい服の上下を身につけそのバッグを引きずるようにトボトボ歩く姿になんとも言えない気持ちに。
コロナ禍以前にホームレスだったのでは。
死ぬまでずっとさまよっているのでしょうか。
心中は「誰か自分を助けて」と叫んでいるのかも。
ウーバーイーツのシングルマザー
飲食店の仕事がコロナ禍で亡くなり誰でも簡単になれるウーバーイーツの仕事につく20代のシングルマザー。
接客業が性格に合っているという理由でウーバーイーツについたけれど同業者間の競争は激しくなるばかり。
この仕事そんなに儲からない。自治体の支援も求めた方がいいのでは。
トルコの喫茶店
話は一気に海外へ。
トルコも新型コロナ感染の増大であえいでいる国の一つです。そのトルクにはコーヒーハウスという喫茶店がありもともとシリア人が始めたそうです。
このコーヒーハウス、日本の喫茶店とは異なって主にリタイアした人がコーヒーだけでなく仲間たちとカードやバックギャモンなどのギャンブルをして楽しむ憩いの場だったのです。
さらに人が集まるので郵便局の仕事まで兼ねていたそうです。
しかし、コロナ禍でここれらのギャンブルが禁止となり人も集まらなくなって営業が危機的状況の様。
このままではコロナ禍の影響で全国のホーヒーハウスの20%は倒産するだろうと予想されています。
東京の喫茶店では
私がときどき行く複数の全ての喫茶店もこの緊急事態宣言で人が少しばかり少なくなった感じです。
逆に昨年の緊急事態宣言では喫茶店は人出が多かったのです。リモートワークで自宅では落ち着かないという会社員が喫茶店でリモートワークをしたり、学生が勉強したりと不要不急の外出は喫茶店には全く当てはまりませんでした。
今回は駅構内や商業ビル内にリモートワークをする施設も作られ学校も閉鎖されないので喫茶店に避難する人が少ないのでしょう。
「助けて」とはっきり言おう
コロナ禍以前以後にかかわらず生活が大変になってきたら周囲に「助けて」ということが大切です。
まずは自治体にコンタクトすることです。
とはいえ、先述のアパレル系社員だった男性も友人に援助を求めることが恥かしくてできなかったと言っていました。
おそらく私も同じような状況下に陥ったら恥かしくて知り合いや自治体にさえ何も言えないかもしれません。
しかし本当に困っているのならば正直に「助けて」と言わなければ。
そしてできれば経済的に余裕のある人は彼ら彼女らが「助けて」という前にその危機的状況を気づいてあげればなおいいのですが。
私は経済的余裕は全くないのですがブログを書くことを生業としていきたいので常に発信し続けたいのです。この人たちのことを。
自戒を込めて自分に何ができるのかを考えています。
節約のために風呂はバスタブの1/3しかお湯を入れません。ですから冬は寒いのでバスタブに寝るように身を滑らせ肩を温めますが折りたたんだ脚の半分がお湯の中に入らないので起きたり寝たり結構忙しいのです。
しかし、こういう時にふと風呂にも入れず夜中寒さをしのぐために歩き続ける人たちを想像するたびにこんなこと何でもないと思うのです。
私は自己中で馴れ合いが嫌いな性格なのですが、ときどき赤の他人に対して「なんとかしてあげたい」という気持ちだけは「たまに」出てくるのです。
一方で身内である認知症のお袋に対しては全然なんとかしてあげたいと思わないのでこれが不思議。
この感情は憐憫(れんびん)なのでしょうか、同情なのでしょうか、共感なのでしょうか。何れにしても上目線でないことを祈っています。
こんな感情を持つなんて大分年をとったのでしょうね、私は。
以前ならそんな状況に陥るのはその当人に問題があるからだと一蹴していたはずなのに。
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