去年だったのか一昨年からだっだのかさえ忘れてしまった独裁国家ロシアの汚職国家ウクライナ侵攻による両国とも何万人にも上る死者数。
そして昨年のテロ組織ハマスのイスラエル人虐殺と狂信国家イスラエルによるガザ侵攻および一般人の虐殺。
国内では今年の正月には能登半島地震。
反日カルト教の旧統一教会の暗躍と政治家の癒着。
連日これらのニュースがテレビやネットでこれでもかと配信されていて心が休まる日もない日々が続いています。
特に日本人のように他者に対する共感力の強い国民は自分たちが思っている以上に心理的ダメージが大きいのです。
自己中の私でさえこの状況から抜けることはできません。
さらに日本のマスコミでは触れていない世界の紛争はたくさんあります。特に日本のマスコミは海外情報音痴なので。
またスペインとアメリカの植民地だったフィリピンが「なぜフィリピンは貧困がなくならないのか」の記事を週遅れの英字新聞で読んで貧困について考えさせられました。
仕事で忙しい日本の会社員は普段は会社のことで頭がいっぱいで精神的余裕がなく上記のような出来事にはあまり注意を向けないものです。私は会社人間ではありませんでしたがそれでも会社員時代は国内問題はもとより世界情勢などはほとんど無関心でした。
しかし上記のような難解な問題にも一民間人としてあるいは国家機関の一員として解決しようと地道に取り組んでいる日本人たちがたくさんいます。
実際にはこれらの問題解決はほとんど不可能なのにそれでもできることをやっているのですが。
世界は解決できないことで満ちているけど….
それにしてもこの世界には解決できない問題が有りすぎます。個人でも団体組織でも国家でも解決できないことが。
そういうとき人はどうすればいいのでしょう。
おそらく世界中の人たちや日本人の多くは「人のことも大事だけど自分のことで精一杯」と答えるのではないでしょうか。
自分のことで精一杯の人は自分のことに専念すればいいのです。
私などは年金生活者ですが厚生年金だけでは家賃と光熱費で飛んでしまいますので個人年金と預金を取り崩して生活しています。
ジムや登山と時折の映画鑑賞のために倹約生活をしているのですがそれでも経済的には自分の将来は明るくなくあまり精神的に余裕はありません。
もともとの自己中で精神的余裕がないとなるととても人のことに関与することなどは及びもしません。
世界平和なんて遠くの彼方の問題と認識する日々なのです。
それにも関わらず上記の問題には心理的重荷を感じてしまうのです。
私も他の日本人と同様に他国の人々に比べて共感力が強いのでしょうか。
単に仕事をしている人に比べて暇な時間(よく言えば考える時間)があるからでしょうか。
余計なことは考えず残りの人生は自分の趣味の世界に入っていればいいのにとも思うのですがなかなか達観できません。
ウクライナ支援もいいけれど…..
先日JR新宿駅南口でウクライナの国旗が10本以上旗めいていました。在日ウクライナ人と彼らをアシストする日本人団体のコラボで支援金を募っているようでした。
ロシア・ウクライナ戦争は互いに意地の張り合いでこれに英米とNATOが加わってエンドレスになっています。その間何万人が亡くなったのでしょうか。双方合わせれば数十万人でしょう。
欧米や日本は一体どれだけウクライナに援助すればいいのでしょうか。ロシアに勝つまで? ウクライナの人口が減って兵力増強ができなくなるまで?
日本はこれまで合計1兆円を超える援助をウクライナ、ポーランドやNATOにしています。これってどこから出たお金でしょう。元を正せは日本の税金からです。
日本国内で1兆円あったらどんなに多くの人が助かるでしょう。看護師、介護士、保育士の給与援助、学校給食費の半額(無償化は1兆円では無理)、博士課程の院生の生活援助などなど。
いくら戦後のウクライナ再建のときに日本企業が優先的に事業展開させてもらうという計算(契約?)をしているにせよ、度を越しています。これだけの援助をするのであればもっとはっきりとウクライナにはっきりと明確に声をあげるべきです。
「われわれの支援金の利用には透明性が不可欠である。」
「ウクライナ国内で特定の個人や団体が不当搾取するようなことがあれば日本は手を引く。」
「また戦争でこれ以上自国民を失うようなことがあれば国家再建も危うい。」
「停戦準備をしろ。」
あるいは日本政府はアメリカから「援助してやれ」とケツを叩かれているのかもしれません。
またウクライナも日本を含む欧米頼みなのになぜか強気です。
世界中すでに援助疲れが出ているのです。とくに欧米ではそうです。
日本と同じように政治・経済ともに混迷しているイギリスなどはもう信じなれないほど物価が上がり、あちこちでストライキが起こっているのです。他のヨーロッパも似たようなものです。
日本は世界に対しては「金を出すなら口も出せ」です。
終わりに
なんだかストレスが溜まっているのか愚痴っぽくなってしまいました。
それほど国内外で問題解決が不可能な出来事がたくさん出ています。
これも人間の業のなせる技です。
あまりにも世界はたくさんの問題を抱えており、個人では解決不可能です。
それでも限られではいるけども出来る人は出来ることだけはやりましょう。
私は多分無理だけど…..
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