前回のブログで私は「老人拒否症」と書きましたが別の言い方をすれば、私は「老人恐怖症」でこの方がシックリきます。
会社員時代には全くと言っていいほど目に入らなかっら老人たちが目、鼻につくようになりました。これも自分が60歳を超えとうとう「老人」世界の入り口に立ったからでしょう。なんだか姥捨山の登山口にいるような気もしないではありません。
私は「老人」が嫌いです。自分が老人になっていくのも嫌いです。一時流行った「アンチエイジング」という言葉もまた嫌いです。
ただ単に自分が60歳を超えて生きることをほとんど考えていなかったので「まだ生きていること」にどこか戸惑っているのです。
私は老人が嫌い
老人は容姿が醜いから嫌いです。
老人は加齢臭で臭いから嫌いです。
老人は人前で平気で「カァーッ!」と暇そうな大きなあくびをするから嫌いです。
老人は図書館や本屋で平気で指に唾をつけて雑誌や本のページをめくるから嫌いです。
老人は電車に乗るとき我先に乗り込んで席を確保しようとするから嫌いです。
老人は突然大きなクシャミをするので嫌いです。
老人はすぐ「切れて大声を出す」から嫌いです。
老人は無表情で陰気臭くて嫌いです。
老人はやたらといくつもの病院へ行って不要な薬を有難がるから嫌いです。
もうすぐ日本の人口の3人に1人が65歳以上の高齢者となります。上記のような老人が多くなると私は窒息してしまいます。しかしあと3年後に私もそ仲間入りです。
老人になっても若い時と同じような気持ちで若い人が着る服を着たりヘアスタイルにしたりするのは本人の自由なのです。ただ滑稽に見えるだけです。
私の老化現象
私は家のドアや壁に膝や肘をぶつけることが多くなってきた
私は前頭部の毛髪後退がまた始まったとジムのパウダールームで気がついた
私は歯と歯の間を歯間ブラシで食べかすを取っていると時々出血する
私は普段本やパソコンを見るとき眼鏡を外すが爪を切るときも眼鏡を外すようになった
私は電車内で本を読むと目が疲れるようになった
私は小便が出るまで時間がかかるようになってきた
私は睡眠の浅い日が多くなってきた
私は寝ている間口を開けるようになった
私は顔にシミやシワが多くなった
私は冬によく鼻水が出るようになってきた
私は3度の食事の食べる量が徐々に少なくなってきた
私はアルコールが弱くなってきた
私はちょっと前にしたことも忘れるようになってきた
私は爪の先がよく割れるようになってきた
私は岩やドアにぶつけた脚のアザが2年間も消えずに残るようになってきた
私は滑舌がだんだん悪くなってきた
私はあまり笑わなくなってきた
上記の全ては身体の物理・化学的問題で下記で説明できます。
食物(栄養素)の分解・吸収の劣化
ホルモン・神経伝達物質の減少
血管・神経系・内臓・筋肉・骨の劣化
「老化』=「身体の劣化」。
私は「老人恐怖症」
私は周囲の老人を見て「嫌悪感」を感じます。もちろん全ての老人に対してではないのですが。
その「嫌悪感」の根拠は、近い将来の自分を想像して「不安」と「恐怖」に陥りそれに対しての「拒否感」から来るのだと思います。
老人になっていくことへの「不安」と「恐怖」は素直に自分を認めないことにつながります。
自分を認めないということは、自分を好きにならないことです。
そうです。私はどこかで自分が嫌いなのです。これは若い頃にはほとんど感じなかったことですが加齢にしたがってその傾向が強くなってきているような気がします。
そうすると私は私が嫌いなので老人が嫌いという結論になるのでしょうか。
私は私が嫌い→老人恐怖症→老人が嫌い
なぜ私は私が嫌いなのか
社会人になってから現在まで色々紆余曲折した人生でしたがこれまでのところ私の人生の70%には「満足している」「こんなもんだろう」と肯定している自分がいます。
それではなぜ私は私が嫌いなのかと言えば、口ではいろいろ「変化が必要」と言いつつどこか「もう自分を変えたくない」というもう一人の自分がいるのです。
つまり「変化を好まない自分」に嫌悪しているのかもしれません。
しかし、自己弁護的ですが「これは人としての正常な反応」とも言えます。
これを「恒常性」=「ホメオスタシス」で説明できます。
「ホメオスタシス」は生理学用語ですが、「生体が外部環境が変化しても生体内部を常に一定に保とうとする性質」を言います。
例えば暑いと汗をかいて体温を一定に保とうとする性質が「ホメオスタシス」です。ホルモンなどの分泌物や神経系を動員して体内調整し身体を一定に保とうとします。
つまり「人はもともと変化を好まない」のです。しかし、若い世代は心身ともに柔軟性があり世界の変化に対応しようとしますが、加齢にしたがって老化してくるとその変化にうまく対応できなくなるのです。つまり自己が出来上がってしまって変化しようとしないのです。
私は元来不器用な方なのであまり自分から変化することは下手なのですが、老化にしたがってそれが顕著になってきたのです。
それを自分で察知して「何も手を打てない自分」に対して嫌悪しているのです。
私の「老人恐怖症」の解決法
わかった!
生活資金を稼ごう→何かしよう→何もできない→私は無能である→それを認めたくない→自己を認めない→老人化する自分も見たくない→老人恐怖症→老人が嫌い
そうすると「老人嫌い」でなくなるためには私は「自己を素直に認めること」と「生活資金を稼げばいいこと」ってなりますね。
「自己を素直に認める」のは元来正直者ですので比較的簡単ですが「生活資金を稼ぐ」となると現在悪戦苦闘中なのでかなり難しい状況となります。
したがって当分私の「老人嫌い」はまだまだ続くのでした。
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