私は今年62歳になります。新たに取り入れたパラレルグリップ懸垂で肩から背中にかけてと前腕筋の筋肉痛が出てきました。
この筋トレ、結構気に入っています。広背筋、大円筋を鍛える難しいワイドグリップ懸垂(順手、サムレス)よりも肘を痛めずフォームが簡単にできるからです。
ワイドグリップ懸垂がうまくできるようになるまでこのパラレルグリップ懸垂を並行して行い僧帽筋、広背筋を鍛える方がベターなのかも。
しかし、私は別にアンチエイジングを目的にこのような筋トレをしているのではありません。この歳になっても筋肉の成長を目視できるのが面白いのです。
もちろん独り者で誰も自分の面倒を見てくれる人はいないのでしっかりした健康管理が大事という意味もありますが、やはり筋トレは面白いのです。
筋トレと登山のおかげで会社員時代の自分よりはるかに筋力・持久力・心肺能力はあり、体型もスマートになりました。
しかし、一方で確実に年は重ねているのです。つまり「加齢」による「老化」です。
老人・高齢者・シニアという呼び方
私は自分では「老人」とは思っていませんが、20代、30代の若い世代から見ると私はもう完全に「老人」でしょう。
「シニア」という言葉もあります。
日本で「シニア」という言葉は「高齢者」とか「老人」と呼ばれたくない人が多くなってきたのでその意をくみ取ったマスコミもしくはどこかの就職斡旋会社などが考え出したのでしょう。
英語でシニア(senior)は、(学校の)最上級生、年長者、先輩の他にリタイヤした年配者、高齢者を意味します。
就職関連では40代からすでに「シニア」と呼ばれる場合が多いのが現実です。40代は高齢者ではないのですが、転職就活する人の中では高齢の部類に入るのです。
「老人」とは「年寄り」「年をとった人」を意味し、老人ホームなどに使われどちらかというとネガティブな意味に取られます。そのせいでこのネーミングはだんだんと廃れ「高齢者」に取って変わってきたのです。
しかし、何歳から「老人」という決まりはどこにもありません。
せいぜい年金や介護・生活保護などを取り扱う公的機関やニュースなどで「高齢者」という言葉が意識されるだけです。
そして「老人」「高齢者」というネガティブな匂いを持つ言葉をオブラートで包んだのが「シニア」なのです。
私も自分自身「老人」「高齢者」とは思っていませんが、「シニア」なんだろうなぁという程度には思います。ただし、たまに皮肉っぽく自分を「じじい」という時もあります。
昔の自分はどんな顔をしていたかも忘れてきました。とっくに写真もすべて断捨離で捨ててしまったので若い頃の自分の顔が思い浮かびません。
しかし、現在鏡で自分の顔を見るとシミやシワなどが増えて頭髪も薄くなっているので「俺はまだ若い」なんてことはとても思えませんし、言えません。
「俺はまだ若い」と思う時は周囲の同年代と比べた時にいう相対的な言葉です。
「実質的な若さ」ではありません。
「俺はまだ若い」と過信すると車を運転してアクセルとブレーキを間違えて事故を起こす連日お騒がせのニュース沙汰になります。
私も筋トレでは生活に支障が出るほど散々関節などを痛めているので無理はしないようにしています。
年を取って老化してきたと感じること
登山を始めて間もなく、左膝の腸脛靭帯を痛めて以来筋トレを始め4年目になり随分体力がついたなあと思う反面、年を取ってきたなぁと思うことも多々あります。
・視力が衰えてきた(メガネは中近レンズで老眼鏡は歪んで見えるのでかけません)
・頭髪前部が薄くなってきた(一時ストップしていた脱毛が再開したようです)
・名前(名称)が出なくなってきた(先日も東急ハンズの名前が出なくて困りました。東急とか小田急の名前が出てきて「ハンズ」が出て来ないのです。)
・朝食後の歯磨きを磨いたのかどうかも忘れて歯ブラシが濡れているかどうか確認したこともあります。そして歯ブラシが乾いているのを確認すると再度磨き始めます。しかし、本人は磨いたな絶対と思うのです。
・小便の出が悪くなった(小便が出るまで時間がかかるようになりました)
・顔に少しシミが増えてきた(小さな黒いほくろが少しずつ大きくなってきたのが不気味です。こんなもの成長しなくていいのです!)
・皮膚の切り傷・擦り傷の治りが遅くなってきた(登山でできた脚の擦り傷が2年以上残っている場合があります。)
・お酒が弱くなってきた(以前は顔に出なかったのですが今は顔が赤くなります。筋トレで息を止めてもすぐ顔が赤くなります。)
・壁やドアに肩や肘がぶつかることが多くなってきた(視覚か平衡感覚の問題なのか?)
・口を開けて寝るようになってきた(顎の筋肉の衰退か?)
・体臭が濃くなった(ほとんど筋トレ+タンパク質摂取のせいだと思います)
・食事の量が少なくなってきた(なかなか筋肉肥大しない理由の一つです。)
・ふと冷蔵庫の前まで来て「あれ?何をしに来たんだろう」なんて思うこともあります
すぐ思いつくだけでもこんなにあります。
こうやって少しずつ老化していくのですね。少しずつなので本人もそれほど驚くことなくあるいは気づかずあっという間に年を取っていくのです。
老化を見ないふりをせず直視する
ある時ふと自分の顔をお鏡で見て「一体誰だろう、このジジイ(ババア)は?」と思っても驚いてはいけません。もう大分以前からあなたはそれを知っているはずなのですから。
ひょっとすると現実の自分を見たくないので、知らないうちにどこかで本当の自分を見るのを避けていただけかもしれません。
しかし、それに近い現象はあります。夕方電車に乗っている時ガラス越しに外の風景を何気なしに見るとガラスの反射で自分の姿が映し出されているのに気がつきます。
その時見る自分の顔の老けていることといったらまさに驚きです。何じゃうこりゃ?の世界。自分ではないと思ってしまいます。
しかし、現実には自分の顔なのです。光の反射の仕方によってひどく老けて見えるとしても、一面自分の顔を正しく写しているとも言えます。
虚を突かれて見る自分の本当の顔(姿)。
先程言った「一体誰だろう、このジジイ(ババア)?」というのはまさに虚をつかれたのです。
人はこういう経験をしつつ徐々に老化に慣れていくのかもしれません。
老化した現実の自分を誤魔化さずに直視しそれに沿った対応をしてくことが大事です。
私の場合は筋トレは初めは登山向けでしたが今では筋トレ自身が面白く趣味でやっています。
しかし、もう一つの理由は筋肉の貯金です。老化に伴い筋肉が衰退するのでそれを防ぐためにも筋トレは役に立ちます。
細胞の老化によるガンなどやその他の内臓疾患によって死亡することはあっても筋肉の衰退で歩行困難にはなりたくないのです。
これは本当にそう思います。私は自分で歩けなくなったら人生はおしまいと思っていますから。
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