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毎日のようにネット記事では海外観光客による日本もしくは日本人礼賛の記事を目にします。
それはもううんざりするほどで一体どういう連中がどういう目的でこんな記事を書き続けているのだろうと思うほどです。
一見本当のことを書いているように見えますが、なぜか私はそれらの記事に胡散臭さも感じさせるのです。
それはなぜでしょうか。
まずはステレオタイプの日本社会礼賛の幾つを紹介します。
目次
日本のトイレはどこも綺麗!
これはよく聞きます。おそらくそうなのでしょう。おそらくというのは私が極限られた海外の国にしか行ったことはないから比較しようがないからです。特に海外の公衆トイレには一度も行ったことはありません。
しかしその限られた国の中ではマレーシアのクアランプールに行ったに入店した大型デパートのトイレは綺麗とは言い難いものでした。どうも宗教上の理由でシャワーのようなものでお尻を洗う習慣のようで周囲が水浸しになるようです。
しかし海外観光客や在日外国人の話では自国の公衆トイレは非常に汚いと言っています。
今年オリンピックが開かれたパリなどはその代表例でしょう。私はパリどころかフランスに行ったことはないし行きたいとも思わないのですが、この国のトイレ事情は日本では信じられないほど本当に酷いようです。
もともと都市計画で汚水処理がおざなりにされてきたからでしょう。セーヌ川の汚染の原因は汚水処理がいまだに不完全であることを立証しています。(おそらく一部の施設は水洗トイレの汚水は下水処理場を経由しないで直接セーヌ川へ垂れ流しているでしょう。)
翻って日本のトイレは本当に綺麗というのは自国と比較して言っているわけです。
しかし日本のトイレが全て綺麗なわけではありません。JR駅のトイレはその利用頻度の多さから汚い箇所もあります。以前東京駅の某南口近くにあるトイレは非常に汚かったし、JR新宿駅の地下にあるトイレも汚ないです。
これはもう使用頻度が圧倒的に他の駅と異なるから。駅の利用客が多ければ多いほどそのトイレは汚くなるのは必然と言えば必然です。
それではなぜ日本のトイレは他国と比べて綺麗なのでしょうか。
なぜ日本のトイレは綺麗になったのか
・日本の学校教育
日本の学校教育で教室の掃除のほかトイレ掃除もあります。つまり小さい頃から教育の一環として自分で使用した設備は自分で掃除するという教育は徹底されているからです。他国では信じられないことなのです。
・公共心の向上
もともと日本人は綺麗好きな面がありましたがそれは自宅内やその周辺のことに限られました。しかし、1960年代の東京オリンピックを機に公共心が芽生えてきて徐々に自宅以外の公共施設も綺麗にするようになったのです。その一環としてトイレもありました。
・日本の多湿気候の影響
昔から日本は高温多湿なので物が腐食、腐敗するのが早く疫病などの流行を恐れて汚物の処理は適切に行われていたのです。
・長年農家がし尿を肥料として利用していたから
戦後まで日本人は自宅の汚物(し尿)は農家が引き取っていた場合が多かったのです。農家は引き取ったし尿を畑の肥料としていたのです。それが敗戦を機に外国人が増加してきてし尿に対する衛生問題(つまり口に入る物の肥料がし尿というのが問題視された)が出てきて化学肥料を使用することになり、さらに1960年代になってようやく下水処理施設が整ってきたのです。
したがって昔の日本のドッポントイレは農家がし尿を引き取りに来ていたので綺麗だったわけです。そのため日本ではトイレは欧米に比べて汚い場所とは認識していませんでした。
日本は治安が良く安全!
これもよく聞きます。
その理由としては主に下記が挙げられます。
・法律で銃器の所有が禁止されている
海外、特にアメリカのような銃社会とは全く異なった社会のため基本的な安全が確保されるのです。また許可のない刀やナイフ等の所持も禁止されています。
・移民が少ない
日本は移民が400万を超えていますがまだ欧米に比べ移民は少数派なので文化の違いによる軋轢が少ないのです。
しかし最近は日本政府が率先して外国人労働者の移民を推奨しているので移民がどんどん増えているのが現状です。これによる地域樹民との軋轢や犯罪が多発しています。
したがって今後は移民が少ないので治安がいいということは言えなくなるかもしれません。
・日本全国に交番がある
日本には独特の警察制度がありその一つに交番があります。
警察の前身は江戸時代の町奉行所ですが、これが明治になって交番ができました。派出所と言ったり交番所と言ったりしました。交番は「交互に番をする」ことから名付けられました。
この交番制によって各地域に警察官が駐在し犯罪予防に貢献しているのです。
海外でも南米の国でこの交番制を採用し、犯罪の減少に貢献しています。
・日本人の協調性・集団性
日本人の性格として協調性や集団性があります。これらの性格が日本社会での犯罪を抑制しているのです。各人が社会の調和を乱さないように気をつけていると言っていいでしょう。
日本の街はゴミ箱がなくても綺麗
これも外国人観光客の常套句となっています。
そんな昔から日本の街は綺麗だったわけではありません。綺麗になったのは逆にゴミ箱がゴミで溢れてしまったからです。
・ゴミ箱をなくしたから綺麗になった
街や駅のゴミ箱は家庭ゴミを運んでくる人が増えたのでゴミ箱を撤去したのです。
まず2000年以降各自治体は徐々に家庭ゴミの有料化を決めてゴミの分別と有料袋を実施し始めました。
これにより有料となった家庭ゴミを外に捨てようとする不届き者が増加し、駅やコンビニなどのゴミ箱に家庭ゴミを投棄するヤカラが出没するようになったのです。
その対策としてゴミ箱の数を極端に減らしたり自社の客先以外のゴミ投棄を拒むようになって行き場を失ったゴミは結局家庭で処理されるようになったのです。
ちなみに1995年の地下鉄サリン事件で直接駅のゴミ箱がなくなったのではなく2004年、2005年の海外での鉄道を狙ったテロ攻撃が立て続けて起こりその対処として日本の鉄道もゴミ箱の量を減らしたりゴミ箱の中身がわかるように透明化したりしたのです。
さすがにゴミ箱がなくなったら平気で道路に捨てる日本人はいませんでした。
また、ゴミ箱に入っている生ゴミなどを餌にたかるカラスがゴミを撒き散らすことによる環境破壊もゴミ箱の減少の原因になっています。
・公共道徳の進歩
また日本人の公共心の進歩も忘れてはいけません。以前も話しましたが1960年代の東京オリンピック以前は日本人も時間にルーズでしたがそれ以降徐々に時間厳守になったのです。それはオリンピック開催にあたって交通渋滞を緩和させるべく時間厳守にして行ったからです。確か新幹線もオリンピックに合わせて開通したはずです。
登山でも山中でゴミを捨てる登山客が多く「ゴミは持ち帰りましょう」という立て看板を何度も見たことがあります。しかし長年の登山愛好家や行政指導が実って今では皆さんゴミを持ち帰っています。
ただし富士山周辺はどうもいまだゴミが散乱しているようですが。外国人が多いからかも。
なぜ日本人は外国人に日本礼賛して欲しがるのか
1992年に日本はバブルが弾けてその後経済の低成長、低賃金、デフレ時代が続きました。それによって日本人がかつての「ジャパン アズ ナンバーワン」の自信を喪失してしまったのです。(この考え方も外国人によるものですが。)
その反動としてネガティブ思考に取り憑かれた日本人にもっと自信を持ってもらおうと一部の日本人が企画したのが日本礼賛の情報発信です。これは圧倒的にSNSからの発信が多いのが特徴です。
もともと日本人のDNAに強く残された心配性は日本で起こる自然災害(台風、地震、津波など)によるものが大きいのです。
その日本人の国民性として
・何か漠然と自分の現在・未来に対して不安をもつ(心配性)
→現在の生活レベルを抑えて生命保険に加入したり預貯金をしたりして来るべき将来への備えをする
・他人の目を気にする
→自分の気持ちを抑え他人に配慮し生活する(常にどこか緊張感をもって生活をしている)
・真面目
→良くも悪くも適当な生活ができない(手抜きができない)
・我慢強い
→強い自己抑制によりストレスが溜まりやすい
・同調圧力をする
→他人と違う意見を持つ人がいると場を乱す者と判断し周囲は自分たちと同じような言動するようにと無言の圧をかける
これらの国民性をまとめると、『おもてなし精神』が出来上がります。
外国人観光客が日本観光を安心して楽しめるのは日本人の自己犠牲から成り立っているのです。
日本観光して日本に移住したいと思って移住してもしばらくすると上記のような日本人の国民性に気付き、さらに外国人である自分にもその国民性を押し付けられるような気持ち(→同調圧力)になり、日本は窮屈で自由がないと言って帰国する外国人が多いのも事実。
一方、日本人の自己犠牲、自己抑制によって日本社会は治安が良く、安全で清潔だと理解している外国人は長く日本に住み続けるのです。
要は、「安全・安心 、清潔、親切 VS 治安の悪さ、不衛生、利己的」 もしくは 「不自由、閉塞感 VS 自由、開放感」 の違いです。
どちらを選択するかはあなたの自由なのです。
終わりに
TVや新聞よりもネットを見る方が圧倒的に多いので自然とSNSの方から情報を得る機会が多くなります。
高齢者しか読まない、見ない新聞やTVはすでに購読者数や視聴者数がその会社経営に支障が出るほど低下しているのが現実です。新聞社、テレビ局はほとん赤字です。所属するグループの中で利益を出している不動産部門があるのでなんとか仕事が継続できているのです。
日本礼賛もyou tubeやショート動画で盛んに発信されています。個人、団体の両方ともフォロワー数を増やすためにあの手この手を使って発信しているのです。これもビジネス。利益があるから発信するわけですね。
おもてなし精神は日本人の自己犠牲から来ていていると自覚している人は少ないのではないでしょうか。
この自己犠牲精神という言葉がしっくりこないのであれば、自己抑制精神あるいは自律精神と言い換えてもいいでしょう。
こう言った社会に合わない日本人はさっさと海外に逃亡するのでした。
私も社会人になって日系会社に入り日本人が嫌いになってちょっとの期間海外に行きましたが当時もっと海外で生活したかったと思ったのは事実ですが、おそらく年をとったらやっぱり日本が良いと思ったことでしょう。
のちに日本で外資系会社に入ってときたま外国人と接したり海外に研修に行ったりしましたがやっぱり日本がいいなと思う自分がいました。ただし、日本が良いのであって日本人が良いとは限りません。
またやたらと添加物がたくさん入っている日本食だけど日本食が一番という自分がいます。
やっぱりこれってDNAのせいなのでしょうか。それとも単に英語下手だったからかな。
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