髪がまた伸びてきたので今日カット専門の床屋に行ってきました。
伸びなくてもいい部分が伸びて発毛して欲しいところは毛が生えない厄介な髪です。しかもお金がかかるし。
いつものようにネット予約をして2組待ちを確認して行ったのですがすでに4人待っておりコロナ禍で間隔を開けた席になっているので事実上満席でした。
やむをえず5分ほどブラブラして戻ると1席空いたので座って待つことに。
私の予約番号の1つ前のお客は80代の高齢男性で私と同じようにバリカンでカットされていました。
私は文庫本を広げて待っていましたがこの高齢者は理容師の問いかけにもウンともスンともいいません。
10分程で終了し次は私の番だなと思っていると隣に座っていた60代と思われる白髪頭の男性が立ち上がってその高齢者の方を見ています。
最初順番を間違えているのではないかと思ったのですがその後の行動からこの白髪頭の男性は高齢者の息子さんのようでした。
カットが終了してバーバー椅子から立ち上がる高齢者に杖を持たせ「財布は持っている?」と高齢者に聞き、高齢者が支払う仕草を見せると店の入口にあった折りたたみ式の手押し車(シニアカー)を広げ高齢者を待っています。
なんと介護役で付き添ってきたようです。
高齢者は息子にも無言で手押し車まで杖でヨタヨタ歩いていきそのハンドルを掴んでゆっくりと押しながら店外へ消えていきました。
私は呆然とその姿を見ていました。
高齢者の顔はほほからあごにかけてげっそりにぐが削げ落ちて私は認知症患者ではないかと一瞬思いましたが眼光は鋭く人の言うことは容易に聞かない性格のように見受けました。
老老介護は厳しく特に父子の老老介護は難しいのではと勝手ながら思ったものです。
なぜなら父親の介護のために仕事を辞めて介護に専念した中高年の息子が経済的破綻したと言う話はかなり前から聞いています。
この父子はそうでなければいいのですが。
この手押し車をひく高齢者を見ながらふと最近読んだ久坂部羊の「人はどう死ぬのか」(講談社現代新書)を思い出しました。
医師である久坂部さんの本は以前にも読んだことがあり共感することがあったのです。
この本では私の理想の死に方であるピンコロはほとんどまれだと言うことです。
病気になって入院して苦しんで死ぬケースの方が多いそうです。
脳溢血やクモ膜下出血などでなくなる場合、バットで殴られたような強烈な痛みをもち苦しんでなくなるそうです。
いい死に方と言うと語弊がありますが癌になって延命治療をせずに自宅で亡くなるのが良いと受け止めました。
下手に病院に入院してしまうと医師もあれこれ延命治療に一生懸命にならざるをえず患者も長期間苦しんで亡くなるのです。
癌になって痛みが出た場合はモルヒネ等で鎮痛すれば良いのです。
実際久坂部さんの実父も医師で癌になると「これで死ねる」と喜んだそうです。
そして延命治療はせずに自宅で亡くなったのです。
それでも最後の1ヶ月程は苦しみもあったようですが。
医師が余命2年ですと宣言しても3年、5年と生きる場合があります。
それは医師が患者に実際の余命より少し短めに報告する傾向があるようです。
なぜなら余命1年で亡くなると遺族が余命2年と言っていたのにとクレームを入れてくる場合があるからです。
逆に余命2年ですと言ってから3年生きると医師は遺族に「患者さんはがんばりました。」と言うと遺族は納得するそうです。
嘘も方便ということです。
独り者の私はあの介護されながら歩くあの高齢者の劣化した脚を見て介護なしでいつまで動き続けることができるのだろうかと考えてしまいました。
明日は我が身なのですから。
動けなくなったら人生おしまいという考えを持っている独り者の私は今後あのような状態になったらどうすべきか考えなければなりません。
漠然と自死すればいいと考えていますが果たしで本当にそれができるかいまだ自信がありません。
普段から覚悟を決めておかないといざとなると見苦しい振る舞いをしそうで怖くなります。
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