本日実家のある札幌から帰京。
3泊4日の旅?だったがやはり一人暮らしとはいえ自宅がいいと実感。ホッとする。
しかしまたトンボ帰りになるかもしれない。認知症の母親の病状悪化でもう何日ももたないようなことを医師に言われた姉が私に連絡してきたので慌てて翌日札幌へ行き病院直行。
母親には会えたがもう意識がなく目が覚めても私を認識した素振りも全くなし。顔は私が知っていた母親の顔ではなく言われなければ同一人物とは全く認識できませんでした。
すでに点滴生活で体は痩せ細るまで痩せてきたのでした。
しかし2日経っても病院から連絡はなくどうももう少し生きそうだと私個人の判断で一旦帰京することに。
姉はまだいて欲しそうで玄関で嫌味タラタラ。
私としてはただただ息苦しさを感じる実家なのでした。
あの家にいると自分の生命力がどんどん奪われるよう気がするのです。
洗面所の大きな鏡で自分の顔を見ると東京の自宅で見る顔より明らかに老けて見えるのです。
姉にもはっきり言ったのですがここへ来ると老化すると言いました。姉は苦笑いしていましたが。
毎夜熟睡することもなく睡眠不足が続き帰りの飛行機の中で本を読みながらぐっすり眠りに落ちたのでした。
札幌のスタバやドトールでブログを書いたりネットサーフィンをしながら自己の生活をふと再考しました。
・やはり私は一人暮らしがいい。向いている。
・やはり東京生活が好きだ。
・やはり私は自己中だ。
・やはり自分のやりたいように生きるべきだ。
・やはりお金がなくなったら野垂れ死だ。
・やはりジムが好きだ。
・やはり姉との生活は難しい。
・やはり私はロクな死に方はしない気がする。
・やはり私は長生きが嫌いだ。
・やはり私はもっと何かチャレンジした方がいい。
ネットでは高齢者の老後の生活不安だけでなく若者の老後不安も取り沙汰するような貧困社会になってしまいました。またそれをあおる記事も多数あります。
日本人が思っている以上に日本には貧困層が多いのです。
また今の日本のニュースはほぼネガティブな情報ばかり。
しかしそんな膨大な情報の中にはガセ(フェイク)ニュースも多数あるのでそれらに振り回されず生きたいものですね。
「生きたいように生きればいい」といつも思っているのですが、なかなかうまくそうはいかないことがあるのもまた事実なのです。
周囲の高齢者を見ると生気のない死を待つだけの受け身の人生を細々と過ごしているような人が多そうで自分もああなるのかなんて思うと気が滅入ってきます。
老化とともに体力がなくなり歩く距離もどんどん短くなり、体のあちこちが痛み複数の病院通いもし食も細くなり気持ちも弱くなっていくのを想像するだけでゾッとします。
そんな中でただただ毎日飯を食っていく生活など私はまっぴらゴメンなのです。
おそらくそんな思いは多くの高齢の諸先輩たちも思っていたことに違いありません。
しかし厳しい現実に直面していることでしょう、こんな事になるとは思わなかったと。
どこかで自分の老いを認めて、あるいは認めざるをえなくなってくるのでしょう。
しかし私にはまだ老いた体と精神を受け入れる気持ちができていないのです。
だからそうなる前に早く死にたいと思うのでしょう。
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