他社のweb運営会社でブログを書き始めたのが2017年5月頃で、翌2018年9月には自前のブログを立ち上げました。
下記は2017年10月の「自分のブログは排泄物のようなもの」というブログですが、懐かしくもあり、かつ、恥ずかしくもあるブログです。この1ヶ月後に満60歳になりました。
ほぼ60歳の時のブログ記事
今日も都心を徘徊するには、もったいないくらいの良い天気。
今週後半から大分崩れるなんて信じられない。
天気が良いと気分も優れます。
雨模様だと気分も良くないですね。
やっぱり私は人よりちょっと気分屋なんでしょう。
ああしたい、こうしたいと頭にはいっぱいあるのに
何にも動けない、動かない自分にイライラ。
時々考えることさえ面倒になります。
以前読んだ本で、「科学的に見れば、生きることには何の意味もない」とあって、そうか、だから、意味もないのに意味を見つけようとするから悩むんだな、と妙に納得。
ドツボにはまる、てやつですね。
ブログはこういうちょっとブルーの時良い気晴らしになります。
なんでも好き勝手に書いて憂さ晴らしができます。
人目なんて関係ないですからね。
いろんなサイトでブログを見てますが、なんでこんなことをわざわざ書くのかわからないブログが本当多いです。
でも当人の「気晴らし」と考えれば納得です。
少なくとも私のブログはそうですね。
自分の気持ち(心)の整理のためですが、どこかと誰かと繋がっていたいという気持ちもあります。
気持ちを浄化するため、つまり、
トイレに行くようなものです、私のブログは。
(排泄物を流し、お腹をすっきりさせる、という意味で)
私もブログを始めて救われた部分もあったでしょうね。
退職(リストラ)以来、始めて体験することが多く、当初は開放感に浸って素直に喜んだりしていましたが、やがてこれでいいのか、これから何を「すべき」なんて考え込んでしまいましたから。
この「すべき」なんて根が真面目な証拠ですね、きっと。
まったり、のんびり、何も考えず生活するのもいいんでしょうが、私のようなせっかちて即物的な人間は、何か目的がないとダメです。
そのため「目的」を自ら作りそれに向かって行動する、というのが生理的に合っているようです。
ジムも山も本も映画もその一環になってます。
上記は自分を「変化」させてくれる、と思ってますから。
(他の人は普段こんなこと考えないかも知れません。考えなくてもちゃんと生きていけますから。)
10年後、自分で自分のブログを見たら、何と思うのかな。(システム上見られるのかな?その頃このブログなんてまだあるのかな?)
相変わらずのバカだったんだね、と思うのか、
結構まともなことも書いていたんだな、と思うのか、
早く死なないかな、こいつ、と思うのか、
あるいは、もう死んじゃっているのかも。
でも10年後も同じことを書いているようじゃ、
何にも「変化」していないということですね。
以上
ブログの目的
このブログを書いて1年半近く経ちますが、変わったような変わっていないような。相変わらず頭が硬いような気もします。そして、いつも何かしら悩みがあるような。
この当時は、自分のブログは単に「自分の排泄物と同じ」と思っていましたが、現在では、少し異なります。どちらかというと馬鹿にしていた「ネットでチャリン」を現在は目指しています。
しかし、優先順位はあくまでも
- 自分が関心、興味のある書きたいことを書く(←排泄物のような記事も含めて)
- 広告収入を得る(←誰かの役に立つ)
の順番であり、これが逆転することはありません。なぜなら、書きたいことを書くから継続できるのであって、書きたくもないことを広告収入のために書くのであれば長続きしないし、第一、そうであれば他の仕事をしたほうが体力の有無は別にしてもっと効率の良い収入が得られるからです。
しかし、広告収入をブログで得るのは超厳しいのが現実です。
それに私のようなシングルは、何らかの形で外部(社会)と繋がってることが健全だと思っています。そうでなければ、加齢とともに自己を閉ざす偏屈なジジイになってしまうでしょう。すでにその兆候があります。
シニアがブログを書くメリット
シニアは、ブログを書くことで下記のようなメリットがあります。
・社会と繋がっている気持ちがする
・日記代わりに書くことで自分の気持ちが整理できる
・うまくいけば小遣い程度の収入が得られる(ブログを続ける励みになる)
・記事を書くために勉強する
・いろいろな人と交流できる(かも)しれない
・ブログを書くことで他に余計なことを考えない、考える時間がなくなる
したがって、これからもできるだけブログを書き続けるでしょうね。よろしく!
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