1日があっという間に過ぎて行く。誰でもこんな経験、体験をした人はいるでしょう。
子供も大人も楽しい事は時間の経つのも早く退屈なことには時間の経つのが長く感じます。
しかし子供達は彼らの人生の中でほぼ全てが新しい経験が多く大人は年齢とともに何度も経験したことを繰り返す生活をしています。
記憶という点では新しい体験が多ければ多いほど記憶に残り振り返ってみると体感として長い時間に感じます。
一方、同じことを繰り返す場合は、その記憶が薄くあっという間の時間に感じられるのです。
これが大人になればなるほど、年をとればとるほど時間があっという間に過ぎて行くと感じる理由の一つです。
会社(仕事場)と家の往復で毎日が過ぎていく。
日々の生活で同じようなことばかりしているとあっという間に時間が経ってしまう感じがします。
私の場合は無職の期間も6年目になります。日々私なりのルーティンワークをこなしていると1日、1週間があっという間です。
つまり私は同じことを繰り返す変化のない生活をしていることになります。特にこのコロナ禍では。
そう思うとなんだか残り少なくなってきた人生を無駄に生きているような気もします。
先日埼玉のジムに遠征の帰りに駅のプラットホームで新宿方面の電車を待ってぼっ〜と立っている自分に気がつきました。「あれっ?いつジムを出てきたのだろう。つい今まで筋トレしていたはず。」と奇妙な錯覚に落ち入りました。
この間の時間が飛んだような不思議な感覚。ジムから駅のプラットホームまでワープしてきたような。
これも日々同じことを繰り返しているせいなのでしょうか。実に不思議な体験でした。
ジムトレ、登山、ブログ(広告収入を得る)を3本柱にして生活をしようと決めてから6年。
どれも道半ばで達成感はありません。
この間あっという間とも言えますし、いろいろあったなとも言えます。
こんな生活で一生終わるのかなと思うこともないではありませんが、この生活を卑下していない自分にびっくりします。
会社員時代の私だったら「こんなの時間の無駄!」とか言っていたに違いありません。
しかし人間関係が希薄になってストレスがかなり軽減されてきていることは事実なので私に合った生活スタイルなのでしょう。
もともと人とある程度距離を取ることで自分の精神性を維持してきたので精神的疲労感は激減です。
もっとも金銭的な不安感は相変わらずあるのですが以前のような逼迫感、強迫感はなくなってきました。
その理由は加齢と共に少しずつ開き直ってきたからでしょう。なるようにしかならない、と。
加齢に比例して増加するのは医療費だけでそれ以外の食費、日常生活品などの費用は反比例して減少してくるとわかってきたからです。
とは言ってもいつホームレスになるかという不安はあるようでたまに嫌な夢を見ることも事実です。
どちらに転ぶにしても「体が動ける今が一番大切な日」であることは間違いありません。
右膝を痛め患部のストレッチでかなり改善されたとはいえまだ未だに歩行にも支障をきたし自然歩く速度が遅くなりどんどん人に追い越されています。
それも痛くなったり痛くなくなくなったりするからその原因がなおさらわからないのです。
普段筋トレや登山で脚が筋肉痛でも駅の階段の上り下りは歩いたり駆け足で行き来していたのにもかかわらず現在はエスカレーターを利用している自分が情けなくなります。
「こういう時期もある」「これを良い休養にすること」と気持ちを入れ替えようとしますが家にこもるのが大嫌いな私は歩かざるをえません。
そして歩くと痛みが走るのですから現実(生の自分の姿)に引く戻されるのです。
それでも今日は登山で貼るキネシオロジーテープを初めて貼ってみると痛みが軽減されたように感じます。しかしこれは治療ではありませんので完治しません。
この右膝内側の痛みは初めての経験でこれほど歩行に支障をきたすことはかつてなかったので思い切って整骨院に予約を入れました。
果たしてどんな診断を下すのでしょうか。街の整形外科医のように「様子を見ましょう。」で終わらないことを祈ります。
この膝の痛みの原因も以前ならもっと早く特定していたような気がします。なんだか全てが遅速です。
参考記事:『シニアの時間が経つのが早い生活はいいことなのか』
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