アフガニスタンのタリバン政権が発足しアフガンは絶望の人々で溢れているかというと米国よりマシと思っているアフガン人もいるようです。
と言うのもこの20年間米軍の爆撃で多くのアフガン人が死亡・負傷していたからです。
またアフガンはいくつかの民族の集合体であり同じ国でも地方と都会ではまた感じ方が異なるのです。
まさにタリバン憎し、アメリカ憎し、です。
軍隊という武力だけでアフガンを押さえ込もうとして失敗したアメリカ。
ベトナムでも失敗し、イランでも失敗。超巨額のお金(アメリカ人の納税)を注ぎ込んで失敗。
こんなアメリカに対し日本政府はとっくに付き合い方を見直す時期に来ているのに未だ日米同盟にあぐらをかいています。
アメリカの金魚のフンのようにアフガニスタンにこの20年間で8000億円近いお金を注ぎ込んだ日本政府。このお金も日本国民の税金です。
しかし欧米に比べて人道措置に徹した日本。地元民からは他国(欧米)よりも信用されていたはずです。
ところがアフガン脱出に関して自国民やアフガンの協力者を見捨てて真っ先に逃げた日本大使館の大使や職員。
せっかくコツコツと積み上げてきた信用が日本政府や外交官の対応で脆くも崩れようとしています。
腹の座っていない公務員をこういう政情不安定な場所に送り込んではいけないのです。
アフガン撤退を対岸の火事としか受け取っていない日本政府ですがこの先彼らのために継続的に粘り強くアフガン脱出を図らなければなりません。
粘り強く人道的に。
日本人は海外の問題になるとピンとこないというのか想像力がなくなり国内問題とリンクできなくなる傾向があります。
ただしこういった問題を抱えているのは日本だけではありません。世界中の国々が色々な問題を抱えているのです。
日本だけ見ていると何かと日本の将来に対して悲観的になる人が多いのです。
しかし悲観的材料は日本だけに存在する問題ではないのです。他の先進国だった似たような問題があるのです。
日本人は人目を気にする国民性を持ち他人と自分を比較して物事を判断する傾向があります。
そうであるならばもっと他国の事を知れば日本もそれほど酷い国ではないとわかるはずです。むしろまだマシだと思うかもしれません。
例えば次回オリンピックが開催されるフランスなどは日本女性が憧れる国ですがISなどのテロの対象になりやすい国でもあり警察などはちょっとしたことで自動小銃も街中に持ち歩いています。フランスの警察は日本の警察よりはるかに攻撃的です。
こんな物騒な国がそんなに良いのでしょうか。
さらに公共衛生が整っていませんし仕事に関して無責任な人が多いのです。
またフランスは多様性のある国と自負しているようですが、多様性のあるという意味は色々な国からの移民を受け入れているということです。
それではなぜ受け入れているのでしょう。それはフランスを含むヨーロッパがかつて世界中に植民地を持っていたからです。当然ながら現地の人たちは喜んで植民地になったりはしません。ヨーロッパ人の圧倒的武力の前に敗れて植民地になったのです。
多くの死者を出し植民地化した後は現地人を奴隷のように扱い自国へ利益を送り続けたのです、ヨーロッパ人は。
未だに植民地を持っていたり旧植民地からお金を巻き上げてもいます。それで成り立っているのですよ、ヨーロッパは。
参考記事:『貧困アフリカ諸国から未だにカツアゲしているフランス共和国』
第二次世界大戦後この植民地化は人権問題もあり多くの国々が独立を果たしました。
しかしヨーロッパの国々はアジア、アフリカ、南米などの国々に対して謝罪もせず補償金も支払っていません。
かろうじてフランスがアルジェリアやルワンダなどに謝罪しましたが補償金は支払っていません。
ドイツも最近になってアフリカの一国に対して人道的な協力金を払う約束をしただけで補償金という形を避けました。
ほとんど謝罪もなし補償金もない状態で済ましこんでいる彼らヨーロッパ人は植民地化した国々にどこか後ろめたい気持ちがあるのです。
そのため労働力不足を補うという面もあったでしょうが彼らの旧植民地の現地人を自国に移民として受け入れているのです。
フランスに肌の黒いフランス人が多いのはそのせいです。
何もフランス人が人道的に優れた国民というわけではありません。移民を受け入れざるを得なかったのです。
ドイツはトルコ人を、イギリスはパキスタン人、インド人を、フランスはアルジェリア人をです。
そういった国々は必然的に多様性を持った国にならざるを得なかったのです。好きで多様性を持った国になったわけではないのです。
アフガニスタンだってかつてはイギリスに支配されていた時期があります。
1939〜1842の第1次アングロ・アフガン戦争
1878〜1881の第2次アングロ・アフガン戦争
1919の第3次アングロ・アフガン戦争
3回もイギリスがアフガンに侵攻しています。
1980年にはソ連・アフガン戦争があり、その後タリバーンの支配下になり2001年にはアメリカが侵攻してきました。
20世紀以降だけでも踏んだり蹴ったりの国なのです。
アフガン撤退に至っては一時英国大使が全てのイギリス人やアフガンの協力者を最後の飛行機に乗るのを見届けてから飛行機に乗り込む写真が報道されました。(しかしその後数千人をアフガンに残してきたと報道されました。)
それと比較して日本大使は、となったのです。
しかし上記からもわかる通りイギリスにとってアフガンは勝って知ったる他人の家なのです。
第二次世界大戦前後まではヨーロッパ人のやりたい放題だったのです。
ダイバーシティ(多様性)はその結果に過ぎません。
翻って日本は第二次世界大戦後全く戦争に関わっていないので良くも悪くも平和ボケしています。
その結果危機管理が非常に甘くまた自分に都合の良いように解釈する癖が抜けず非常時における対処法がわからないのです。
やるべきことが山積みの日本ですが日本の政界を見ると「おい、大丈夫かぁ!」の連中ばかりです。
それにしてもどうして日本の政治家は醜い顔が多いのでしょうか。
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