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今年の夏の甲子園を目指した高校野球のある地方大会で何やら騒がしい出来事がありました。
それは岩手県の県大会決勝で強豪花巻東高校と戦った大船渡高校の佐々木朗希投手への國保陽平監督(32歳)の采配です。
肘に不安があった佐々木投手を決勝戦に登板させず、結果対戦相手に2-12で大敗してしまったことによる世間の轟々たる非難がありました。
目次
未だに根性論がはびこる日本の野球界
世間一般ではなぜ國保監督が佐々木投手を登板させなかったのかというのが大多数のようですが、佐々木投手の将来を考えた英断だったと評価する人もいました。しかし、どちらかというとそれは少数派で圧倒的に非難派が多かったのです。
事実、大船渡高校への問い合わせの99%は國保監督に対する非難だったそうです。
また、高校野球の前監督やプロ野球の監督なども下記のような意見を言っています。
この程度で壊れるようならプロにはなれない。
監督と投手だけで野球をやっているわけでない。甲子園に出場できなくなった他の選手がかわいそう。
スポーツには怪我がつきもの。怪我が怖かったらスポーツができない。やめたほうがいい。
佐々木投手がかわいそう。投げさせてあげたかった。
野球を指導するプロが上記のようなことを言っているのを知り、未だ日本の高校野球・プロ野球は根性論がはびこり科学的アプローチができない人が多いのだなと思いました。
佐々木投手の降板理由は骨密度の問題
國保監督が判断したのはクリニックで、
佐々木投手は「骨密度から160km/h超えの球速に耐えられる骨、筋肉、靭帯、関節になっていない」
という診断をされたことによるものです。
つまり佐々木投手はまだ大人の体になっておらず未だ骨が成長段階にあるということです。
國保監督はこの診断を基に佐々木投手を登板させなかったわけですが、それ以外にも佐々木投手のワンマンショーでいいのかという思いもどこかにあり他の選手(投手)にも登板させたかったのかもしれません。
つまり、野球は個人でやるものでなくチームでやるものとするなら佐々木選手一人に頼る野球はどうなのか、と言う問題提起にもなっているのです。
またこの監督は大学の体育専門学群で学び、アメリカの独立リーグで外野手をしていた経歴を持つのでその影響もあるでしょう。
戦前の軍国主義を引く注ぐ日本の野球界
今の高校野球は「甲子園至上主義」に汚染されています。
私は以前にもブログに日本の高校野球は戦前の軍国主義を引き継いでいると書きました。
高校野球選手は自衛隊へ行こう!
現在自衛隊に入隊する人が減少しているようですが、甲子園に出場するような野球選手はプロ野球に入れなかったら是非自衛隊に入ったらいかがでしょうか。
体を鍛え規律を重んじ、集団主義で強調性を重んじ監督・上級生の命令は絶対でおまけに髪も坊主です。
もう適材適所だと思います。
また選手は地元大会といっても野球のために越境入学した他県の選手が多いのです。選手からすると強豪高校に入りたいでしょうし、逆に地元には強豪選手が多過ぎるので他校へ行く場合もあるでしょう。
高校とすると、甲子園に出るようになれば高校入学の志願者増に一役買うので盛んに有望選手を引き抜こうとします。大人と子供(あるいは親)の思惑が一致するのです。
しかし、残念ながら学業は2の次3の次なのも大きな特徴です。
「耐え難きを耐え」を美徳とする日本人の精神性
私の子供時代は巨人の長嶋・王時代の全盛期で小学校では私も少年野球をやってましたが、今では高校野球どころかプロ野球も全く興味がありません。大人になって現実が見えてきたということでしょう。
日本人が何でプロでもない素人の高校野球にこれほど惹かれるのでしょうか。
それはおそらくこのクソ暑い天気で一生懸命に野球に打ち込んでいる姿に純粋性を見て感動しているのでしょうし、またテレビ中継される全国区の試合における地元応援という要素もあるでしょう。
日本人は「一生懸命」「忍耐」「我慢」「汗」「涙」という言葉が大好きなのです。そして高校野球という「ドラマ」にはそれらのどの言葉も当てはまるのです。
苦しい時も我慢し一生懸命練習して晴れて甲子園大会に出場し、クソ暑い天気で大汗をかきながらピンチにもひたすら忍耐で乗り切り勝っては泣き負けても泣いて涙を流します。
そしてこれらの言葉を美徳とする環境下にある限り、日本の高校野球の人気は永遠に不滅なのです。
学業優先のアメリカの大学とスポーツ優先の日本の大学
学業とスポーツの両立に関しては高校だけでなく大学のスポーツクラブも同様です。
アメリカの大学はたとえ将来プロの選手になるような有望な学生でも学業をおろそかにすると落第になります。
日本はほとんどスポーツ優先で特待生となってスポーツさえしていれば卒業できるシステムがほとんどです。
以前は会社で新卒の就職で協調性がある体育会系の人を率先して採用していた時期がありますが、今では体育会系は自分で考えることをせず指示待ちで論理的思考ができないと敬遠されています。
(これってまるで今話題の吉本興業の岡本社長(アメフト部出身)みたいですね。会長のいいなり。)
将来プロになるにせよ選手としての寿命はスポーツによって異なりますが、野球の場合せいぜい現役時代は長くても20年程で年齢でいうと40歳前後で引退です。
短めに言っても人生80年とするとまだ40年残っているわけです。
こういった頭の偏った根性論、精神論しか語れないような人間が残り40年社会とどう関わっていくのでしょうか。
別にスポーツ選手を悪く言うつもりは全くないのですが、やはりこう言った野球界を見ると日本のスポーツ界は異常だなと思うのです。当人たちはどう思ってるのかわかりませんが。
私などは協調性がなく、また先輩後輩の関係が大嫌いだったので帰宅部でした。なぜ1年早く生まれただけなのにこんなに偉そうにするんだろう、と本当に理解できませんでした。(儒教の影響?)
日本のスポーツ界は根性論から脱却すべき
日本のプロ野球選手や監督・コーチまでも一昔前は反社会的勢力の一員と間違えるよなファッションでした。パンチパーマにハンドバック。首にはギンギラギンのネックレス。
これも野球だけしか知らないで大人になってしまった結果です。カゴの中の鳥なわけです。そして体は大人でも精神構造は子供なのです。
スポーツ界は根性論、精神論だけでは今の若者はついてこない時代がすでに来ています。本当に異常だと思います、日本人のスポーツに対する接し方は。
監督・コーチはスポーツ理論を学ぼう!
高校野球からプロ野球まで選手を指導する監督やコーチは、その指導法に新たに学ぶ必要があります。また筋肉や骨格の解剖学、栄養学なども知る必要があります。もちろん学校に余裕があればそれらの専門家を雇用すべきでしょう。
根性論や精神論だけのおバカが監督・コーチをしてはいけないのです。
少なくとも高校野球では早急に投手の「球数制限」をすべきです。
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