アイキャッチ画像:東京とりっぷ
今日の筋トレは125分。トレッドミルで傾斜ウォーキング40分。
帰りの電車ではいつものように文庫本を読むのですがその文庫本が重たく感じて手を下ろしてしまいました。腕の筋肉疲労です。
ときどきあるのです。筋肉疲労の回復が遅いのかオーバーユースなのか。
もっとも文庫本と言っても私が読むのはほとんど海外ミステリーなので600ページ前後はあります。たまに日本の文庫本を読み始めると「軽〜!」となりなぜ日本の本はこんなに薄いのでしょうか。
日本人と欧米人の体格・体力の違いでしょうか。昔から疑問でした。
書店の衰退
本はかなり前から売れなくなり書店はとっくに冬の時代です。今はより一層厳しい状況でしょう。
経済不況により本を購入する余裕がない人、図書館を利用する人、私のようにブックオフで本を購入する人。書店で本を購入する人は本当に少なくなりました。
ただし同じ本でもコミック本は売れているようでアニメ化されるとさらに新規顧客を開拓できるようです。もう累計数千万冊とか1億越えまであるほどです。
私がよく行く駅ビルの書店でも数ヶ月前に模様替えしてなんとコミック本を全面に配列するようになりました。それだけ文庫本、単行本などよりもコミック本の方が売れるということなのです。
週刊誌の衰退
週刊誌も毎年のように廃刊、休刊になりあの週刊朝日もとうとう5月末で休刊になります。
一時は100万部(1950年代)を越す売り上げがあったのにもかかわらず今では4万〜7万部しか売れない状況に。
私は会社員時代は週刊文春と週刊新潮を買ったり立ち読みしたりしていましたが週刊朝日、サンデー毎日はつまらないので一切読みませんでした。
退職後週刊誌は全て立ち読みで済ませており、またそれで十分な内容なのです。週刊朝日も立ち読みで読むようになりましたがペラペラとめくって興味がある記事だと「読んでみようか」という感じでざっと見る程度。
また週刊現代、週刊ポストは会社員時代は立ち読みもしていましたが退職後は全く見ません。やっぱりヌード写真を見ても「大した刺激を感じなくなった」からでしょう。
昔ダ・カーポという雑誌がありこれは買って読んでいました。各週刊誌のつまみ食いのような雑誌で一冊読めば他の週刊誌を読む必要がない感じでした。
それもいつも間にか消えてしまいました。
ぴあもインターネットやSNSがなかった私の学生時代には多くの情報源が載っている貴重な雑誌でしたが今は辛うじて残っているという状態です。
新聞の衰退
新聞も同様です。
特に紙の新聞はもう時代遅れなので発行部数も風前の灯状態なのですが全国紙は見栄を張って夕刊紙をいまだに発行しています。
しかしインターネットの時代なのでデジタル新聞は読まれるだろうとデジタル新聞を発行しても読まれていないのが実態です。
これは新聞があまりにも平凡で可もなく不可もない記事を出し続けてきたからです。
私が小学校の時代には壁新聞というものがありましたがそれと同程度なのです、今の日本の新聞は。
週刊誌のようなスクープもなくみんな同列に並び、外人記者やフリーライターを締め出している日本記者クラブはその最たるものです。
警察情報や財務省の情報を裏を取るわけでもなく垂れ流しにして国民に記事として発表する無責任さには呆れるばかりです。記者曰く、「時間がない」ですと。
こんな記者の記事を誰が読みたいのでしょうか。
以前首相の1日の日程を記事にしたバカ記者がいましたが、確かそれには7:08官邸出発、8:30xx大臣と朝食、9:55分。国会に出席。12:33〇〇議員連と昼食。………10:30官邸に戻る。
一体こんな情報誰が知りたいのでしょうか。この記者自身はこれで仕事をしていると思っているのでしょうがただの時間の無駄使いです。新聞社がブラック企業と言われるのは時間が不規則だけでなく記者としての使い方を知らない人が多いからです。
現実的にどんどん新聞記者が退職しているようです。優秀な記者はそうするでしょう。仕事のできない人ほど同じ会社に残るのです。その結果が会社の沈没です。
欧米、特に英米のような厳しい質問をする日本の記者は皆無でしょう。
本当、日本の記者はジャーナリストではなくただのサラリーマンなのです。
没落すべくすて没落しているのです。
テレビの衰退
テレビの視聴率がかなり悪くなったのは今に始まったことではありません。
特にフジテレビの衰退はタレントが外部に漏らすほどの状態です。どんどんアナウンサーをはじめ社員が退職しています。
テレビ東京もプロデューサーの退職が相次ぎました。
NHKも自民党寄りだとか偏向取材があるとか受信料の徴収で大きくミソをつけています。
今後民放テレビ局は視聴率よりもスポンサーの意向を重視した制作に移行していくのかもしれません。
BS放送のショッピング番組や再放送のいかに多いことか。
ほとんど電気の無駄使いです。
テレビ局1、2社潰れても国民は誰も文句は言いません。
テレビで省エネ問題を取り上げていますが、「お前たちが省エネしろ」と言いたいものです。
本当テレビ局は無駄に電気を使っています。
また製作側の頭の古さも気になります。結局おじさんが作っているのでおじさん目線の番組構成ばっかりになっているのです。
しかも某テレビ局の社長は首相と会食できたことが嬉しくてラインだったかTwitterだったかに嬉しそうに報告する始末。
マスコミは権力者を監視することも重要な仕事の一つです。それを権力者の筆頭に媚びてどうするの!
トップがこれですから下は想像するだけで恐ろしくなります。
テレビは早く潰れてください。
衰退から変化へ
今や書店に行かなくてもアマゾンで本は購入できる時代です。しかし私はアマゾンでは本は購入しません。書店の本棚を眺めるのが好きだからです。
またブックオフで本を購入するときは書店とネットで読みたい本を探してからお目当ての本が出ていないかブックオフに探しに行くのです。本だけでなくこの探す行為自身も好きなのです。
本好きはおそらくそうでしょう。つまりこのような本好きがいる限り書店はゼロにはならないのです。
紙、デジタルとも新聞を読まない人が多くなってきましたが高齢者だけは相変わらず紙の新聞を読んでいるようです。今この高齢者が生存している限り紙の新聞は発行し続けるでしょうが規模はかなり縮小します。
変わって個人記者独自の視点で発言していく手法が取られるはずです。今ある手法ではyou tubeやテレビのネット配信などです。
それをさらにバージョンアップした手法も出てくるでしょう。
XX新聞の看板がなくなった個人記者がどこまで取材できるかは未知数ですが、ユニークな独自の取材手法を確立できれば飯を食っていけるでしょう。
今のような形態の新聞記者では100%先が見えていますので。
テレビの形態もかなり変わるでしょう。
スポンサー自身も経済的に余裕がなくなってきているので、おそらくスポーツ番組専門、料理専門、経済専門、ドラマ専門、歌専門などに特化したテレビ局になっていくのではないでしょうか。
それもそれぞれ専門のテレビ局というのではなく1社がいくつもの子会社を作りそこで各専門番組の制作をやっていくのではないでしょうか。そして同時にネット配信もしていくというパターンです
さらにこれらの番組を海外へも配信していくでしょう。
終わりに
ブログを書いたりTwitterに書いたりする人がそれを音声で発信していくボイシーという音声コンテンツがのツールがあります。
今著名人が気軽にこの音声コンテンツを使って発信しているのです。
いろいろ衰退のことを書きましたがそれは単に変化の過程であって衰退すべきものはすべきものなのです。
日本経済の没落は今に始まったことではなくかなり前から言われていました。今やタイの部長の方が日本の部長より年収が高いと言われる時代です。
しかし日本は経済だけを見るから衰退、没落というのであってもっと別の尺度で測るとまだまだ捨てたものではないのに気がつくはずです。
そのまだ捨てたものではないものがあるうちに変化にどう対応するかが重要なのです。
私が生存中にそれを見ることができるかどうかはわかりませんが。
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