東京へ戻ってきました。二泊三日の小旅行。なんかホッとしている自分がいて毎年のことながら、やっぱり私の居場所は東京だ、と思います。
それにしても札幌での実家での会話には驚かせられる。
年末一泊した翌朝の元旦、私が早朝北海道神宮へ参拝に行こうと玄関で靴を履いている時、母親が起きてきて、私を見て今来たの?なんてノタまう。姉貴が昨日一緒に夕食をしたでしょう、というと「知らない」と言っている。背中でその会話を聞いてゾッとしました。
実家に着いた夜お袋が寝た後姉貴といろいろ話したところ、元々お袋は要介護3だったらしい。当時は冬アイスバーンの横断歩道で転んで両手首を骨折し長期入院だったのでそうなったらしい。
退院後それが要介護2になってなんと今では要介護1になっているという。認知症は良くなるのか?どうもそうではないらしい。同じ医者に診てもらっているけどもその判断は別の機関らしい。
要介護の判断は市役所の担当者
要介護の判断は市役所の担当者が自宅に来て、お袋といろいろ話して要介護のレベルを決めるらしい。その担当者によって要介護の判断が違ってくるということだ。なんとそうだったのか、要介護診断!
さらに驚いたのは医者や市役所の担当者もお袋が認知症とは言わないらしい。姉貴が市役所の担当者を呼ぶ時も、高齢者にいろいろ聞きたいことがあるとお袋に言って会わせるそうだ。つまり、姉貴もお袋に認知症とは言っておらず、本人であるお袋も自分が認知症になっているとは知らないのだ。
こんなことってあるのか。本当に驚いた!本人が病名を知らないで治療しているのか。どうもおかしい。癌にかかった人が癌だと知らされずに治療して死んでいった人は結構いるらしい。医者や家族が当人が心配したりして余計な不安を持たないように配慮した結果のようだが、本人はそれで本当に良かったのだろうか。癌の告知を受けて余命を知らされると、発狂してしまう人もいるかもしれないが、その余命に合わせて自分のやりたいこと、やるべきことを処理していけることもあるだろう。
お袋は今年満88歳だからもうそんなに遠くない時期にお迎えがくるだろうから、何も知らないで死んでいった方がいいということだろうか。また、認知症と言ってもすぐ忘れてしまうから無意味なのだろうか。あるいは、自分が認知症ではないと頑なになって殻に閉じこもってしまうのだろうか。私ならはっきり言っただろうな。今度行く機会があれば、はっきり言ってやろう。
また、昨夜は一昨日より輪をかけてひどく、夕食中からちょっと変で「家に帰る」と言い出し、「(30年以上前に死んだ)お父さんのところに行く」とか言って外出しようとするのです。飲んだばかりの薬もまた飲み出そうとするし。さすがに姉貴は、さっとドアの鍵を隠して鍵を探すお袋に「鍵はないよ」と言って牽制します。
その後お袋が「xxxxx」と叫んでました。私は石のように固まってしまい何もできず、というのか何をしたらいいのかわからず。程度の差こそあれ毎日のようです。私ならこんな状態が続くと爆発してしまうでしょう。「何回同じ事言わせるんだ!」なんて。とても一緒には暮らせません!
同じマンションに週1ディサービスに行っている夫婦がいるので誘われても断ってしまうそうで、姉貴がなだめて一度だけ見学に行ったきり、2度と行かないそうです。
さらに、姉貴に向かって「娘が私を邪魔になって押し込めようとしている」と姉貴に言ったこともあるそうで、もちろん、当のお袋は姉貴に向かって言っているとは思わず、姉貴を他人と思って喋っているわけです。2重に悲惨なわけです。姉貴も「これが(お袋の)本音なんでしょう」、「こんなこと言われるのでもう何もできない」、と言ってました。
私は、「俺なら無理にでも施設に押し込む」と言いました。元同僚のお袋さんも認知症で施設に入るのを嫌がっていたけど施設に入れた後は楽しんでいる、と聞いていたので。ただし、要介護1では特養などの施設は利用できないので現実的ではないようですが。以前は「施設に入れたら」と言ったらアンタは冷たいと言っていた姉貴ですが、さすがにもう「冷たい」なんて言いません。本音は施設に入って欲しいのでしょう。日本人的な葛藤があると思います。
私も認知症について少し勉強して、本人が認知症の自覚がない場合、はっきりあなたは認知症!と言った方がいいのか、無理やりにでも施設に押し込んだほうがいいのか、調べようと思います。
ともに生きてきた思いが強ければ強いほどその決断は難しくなるのでしょう。私のように「自己中で自分が一番大事」と自覚している人間でもちょっと迷うところです。やっぱり私も決断力がなく、なんでも曖昧にして結果を先送りする他の日本人と同じなのでしょうか。
それにしても朝より夜がおかしくなりやすいというにはどう説明できるのかなぁ。個人差があるのでしょうか。なんとも分かりません。まぁ、嫌がっていた杖をつくようになったらしくそれが唯一の進歩か。
いやはやなんとも気が滅入る話ではあります。しかし、年をとるとはこういう事が十分起こりうる事で、もやは他人事ではない年齢になってきています。早い人では40代で認知症になる人もいるそうで、最近ボケてきたきらいのある私は、すでに認知症の予備軍かもしれません。(→どうもボケと認知症は違うらしとわかって下記を添付致します。出典元:http://sodan.e-65.net/basic/ninchisho/)
老化によるもの忘れと認知症のちがい
やっぱり早く死ぬに限るということでしょうか。
合掌!
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