この数日間は曜日を忘れるくらい非常に慌ただしく過ごしました。
認知症で入院中の母親が危篤になり慌てて実家のある札幌へ飛んだのは先月末です。その後持ち直したようで一旦帰京しました。
ところがその3週間後に姉から「母が亡くなった。」と姉からメールが入りまた慌ててオンラインで飛行機のチケット購入サイトをチェックし始めた頃、姉から「お通夜は明後日。」と言うメールが入り明後日の朝8時25分の便で札幌へ行くことに。
ほとんど親族とは距離を置いていた私にとって親族が集まるイベントは非常に気が滅入るのです。
母の介護で非常に暗くネガティブになっている姉に会うのも気が滅入ります。
そのため来札前日はジムへ行く日だったので滅入る気持ちを抑えるためにもジムへ行ってきました。
それから退職以来きちんと保管していなかったボロボロになった靴の代わりにABCマートで革靴を購入。お金がどんどん出て行きます。
実家では姉が待っており先月持って行った喪服を着替えて姉と近くにある斎場に行くと父方の従兄弟Aが留守番をしていました。
お通夜は親族が添い寝すると言うことさえ知らなかった
私は身内であった祖母、父の葬儀には東京から出席が間に合わず2人とも火葬場に直行した記憶がありお通夜は初めての経験でした。
その斎場では親族が一晩泊まれる施設があり神奈川から来る親族以外の親族は全てはそこに泊まることになっていると実家についてから知りました。
私は実家が近いので帰って寝ると言っていたのですがどうも私が喪主となっていて帰宅できる状態ではなく止むを得ず実家に戻って着替えの下着やパジャマがわりのスエットパンツとトレーナーを取りに行きました。
お通夜は夜通し灯明や線香の火を絶やさない儀式なので親族が泊まることは基本らしく私はそのことをすっかり失念していました。
自己中の私はこういうイベントが大っ嫌いだったのですが長男と言うことで否応がなく喪主になってしまったので仕方がありません。
この斎場は2日間1人の葬儀だけを行うというビジネススタンスで施設には宿泊用の大部屋、個室(3人分のベッド)、バス、トイレ、洗面所(タオル、歯ブラシなどを装備)、着替え室、食堂、催事場などがあり斎場と火葬場を往復するマイクロバスまであります。
私はてっきり個室ベットかと思いましたが布団敷の大部屋で合計7人宿泊しました。
注1)後でネットで調べると今は1〜3時間程度でお通夜を済ませるケースが多く宿泊すると言う儀式は少なくなってきたらしい。
注2)お通夜の前にお棺に納める「納棺の儀」があるらしいのですが私は立ち会っていません。
注3)現在は斎場(葬儀屋)で市役所へ届ける「死亡診断書」「死亡届」「火葬許可書」の申請手続きは全て代行しているようです。
生で見た湯灌という仕事
間も無く湯灌が始まり私と姉と従兄弟Aの3人が見守ります。
おくりびとと言う映画で湯灌を以前見たことがありますが実際に見るのは初めてでした。
湯灌士が若い女性2人だったことには驚きました。
また映画で見た湯灌はタライにお湯を入れて湯灌士が着物を着た遺体を着物を脱がさないで丁寧に拭いていく姿が思い出されるのですがここでは全く異なったやり方でした。
それは移動式バスタブに部屋の隅にある配管に送水・排水パイプを接続しでお湯を循環させるのです。
2人の湯灌士が母の身を清めている時に親族である姉がそれをも守ると言う形で進行し姉のリクエストにより母の顔に化粧を施して行きました。
姉はその間は母親に「良かったね」などと話しかけています。
母親とずっと同居したいたせいかはたまた女性特有の感情なのか私にはとてもできない行為だと思いました。
またその間は屏風で仕切られて一応中は見られなようになっています。
最後に私と従兄弟Aが湯灌士に呼ばれてタオルで額を拭くと言う儀式がありました。
そしてそれが終了すると私と従兄弟Aが2人で遺体に敷かれた取手がついた布と母親の頭を掌で支えてもち脚の方の布を湯灌士2人が持って用意された棺桶に遺体を入れました。
痩せ細った遺体は軽いと思ったのですがやはり頭は重いものだと実感しました。
痩せ細った顔だった母親は脱脂綿を入れられたのでしょうか少しふっくらとし化粧もされて少しですが健康的になったと思いました。
遺体の入った棺桶は食堂と湯灌をした控え室の間にある祭壇?に安置され来客が見ることができるようにしていました。
そうこうしているうちに親族が集まってきて札幌近郊からきた従兄弟Aの母親と息子、群馬からきた従兄弟A の兄Bとその奥さん。
さらに神奈川からきた母方の従兄弟Cとその奥さんと息子の3人。
そしてもう40年前に亡くなった父親の同僚で飲み友達だったDさん90歳も来ました。
そのほかの親族はコロナ禍ということで先に来て焼香して帰りました。
と言うわけで葬儀は家族葬となっています。
お通夜では父親の回忌ごとに呼ぶお坊さんが来てお経を唱えます。私の家は浄土真宗とばかり思っていたら浄土宗だったのも発見です。
喪主(私)と施主(姉)が司会者(進行役)に呼ばれお坊さんの横に呼ばれよて通り私に変わって参列者に訪問に感謝の言葉を述べ私たち2人が予定通り頭を下げお礼をします。
また席に戻って確かお焼香を喪主から順にして行きます。
お坊さんはお経を終えるとサッサと引き上げて行きます。
進行役が終了の言葉を告げ食堂へ行ってゆっくりくつろいでくださいと伝えます。
確かこんな感じで進行して行ったような。
私はやれやれといった感じですが本当は喪主として挨拶しなかればならないと思い密かにネットで喪主の挨拶の言い方をメモしていたのですがそんなことは必要がなくとんだ気苦労だったわけです。
東京から札幌へ来るまでは喪主の挨拶を含め本当に嫌々だったのですが淡々と進行していくにつれこれは単なる儀式で言われた通りにすれば難なく終わるものなのだとわかり少し気が楽になりました。
お通夜の食事
夕方になって食事が始まりますがその時喪主である私の挨拶が欲しいと姉に催促されここで初めてネットで調べた文言を言うことになりました。
「本日はご多用の中お悔やみを(誠に)いただきましてありがとうございます。どうぞごゆっくりしてください。」と。
少し途中の文言を端折ってしまったようですがそれを合図に銘々食事を始めました。
食事は仕出し弁当のようなもので全てが少量ずつ小皿に盛られています。
しかし正直決して美味しいものではありません。
普段筋トレを意識した食事をしているので粗食なのでこれを食したらまた下痢するなと思ったら案の定後で便が緩くなりました。
飲み物もビールとコーラ、ジュースでこれらがセットになっています。
それ以外に飲みたければ冷蔵庫から勝手に持っていくことができますが後で精算されます。
お茶(パック)、水、コーヒーは無料。
その後の転末は後日記述予定。
この記事へのコメントはありません。