欧米を中心として世界中で新型コロナウイルスが蔓延してスペイン、イタリアでは死者数が何万人だとかアメリカのニューヨーク州では感染者数が何万人を超え病院の通路にまで感染者のベットを置いているとかしきりにメディアが報道しています。
しかしそれらの国々・地域もその感染爆発(パンデミック)が収束の方向へ向かっていて規制緩和する方針に転換し始めました。
一方日本では東京中心に感染者数、死者数が未だに増加傾向にあり医療崩壊寸前と医療従事者は警告とも悲鳴とも受け取れる話を毎日次々と発表しています。
もともと安部首相の初期動作が遅かったのがコロナ拡散の原因ですが今更それを言っても元へは戻れません。
それにしても日本では国民人一人一人はどうも外出自粛が十分できておらず今一つ危機感が欠如しているような気がします。
それはどうしてなのでしょうか。
目次
新型コロナ感染でも日本人が外出してしまう理由
強制ではなく自粛要請だから
日本以外の国で自粛要請をしているのは先進国では私の知る限り日本と同様に経済重視しているスウェーデンだけです。
その他は政府が強制して外出自粛をさせて道路では警察官や防犯カメラが国民を監視しているのです。
日本では東京では夜の繁華街で「帰宅を促す」場合があるようですが少なくとも防犯カメラやドローンで国民を監視し直接注意をしているわけではありません。
想像力が欠如しているから
日本は地震、津波、台風、火山活動など天災のデパートですがいずれもそれらは直接目に見える災害です。そのため迅速な対応ができるしそうしてきました。
しかしウイルスは目に見えないので危機感を感じることが難しくどこかで「自分は大丈夫だろう」とたかをくくっているのです。
諸外国であれほどウイルス感染しているのにもかかわらず他人事のように緊急事態宣言を遅らせた安部首相をはじめとする日本政府は「明日は我が身」などという発想は全く思っておらずまさに想像力の欠如と言っていいでしょう。
政府も国民も想像力が欠如しているとしか言いようがありません。
ウイルス感染専門家が政府に忖度するから
ウイルス感染の専門家会議ではウイルス感染の動向と対処法を政府に伝える重要な専門家集団なのですが、どうも言うことが曖昧で政府に忖度しているのではと思わずにはいられません。
政府は日本経済のことしか頭にはないのですが専門家会議で人の生命を守るという観点からもっとウイルス感染脅威について強く発言すべきなのです。
そのため感染専門家会議は政府に忖度することなくハッキリと国民に現状を「科学的に」「わかりやすく」伝える義務があります。
政府に忖度するウイルス感染専門家のぼやけた発言が国民にまだ余裕があるのだと誤った判断をさせ外出させてしまうのです。
家が狭いから
日本の住居は一般的に海外のそれに比べて狭く日本より狭い住居はせいぜいシンガポールと香港くらいと思っていたら意外にもアメリカは別格としてもイギリスやフランスと日本の持ち家を比較するとそれほど遜色はないようです。(しかし日本の借家はかなり狭い)
しかし人口密度の高い日本では一人当たりの床面積となるとやはり日本の住宅は狭くなるようです。
こんな狭いスペースに長期間こもるなんて精神的ストレスは欧米以上となります。
特に子供が一緒だとぐずる子供を見てついイライラしてしまいます。子供だってストレスがたまっているのですけど。
したがって家族連れであればついつい3密のスーパーでの買い物に子供を連れて行ってしまうのです。さらについで公園くらいはいいだろうとどんどん行動範囲が広くなっていくのです。
単身者も家庭内感染は有り得ないのだからと広いスペースのある公園などへ行って気分転換するのです。その結果小さな子供や部活が中止になっている学生たちが走り回っている公園も3密状態に。
赤信号みんなで渡れば怖くないから
外出自粛でも一人だけ外出することは世間体があるので出来ないけど外出している人がある一定数いると自分も外出しようとする傾向があるのが日本人の国民性です。
いわゆる「赤信号みんなんで渡れば怖くない」のです。
大勢の中に自分を隠してしまうわけです。私はこれを「羊化現象」と言っています。日本人は何かと群れたいのです。
一方で日本人には同調圧力というネガティブな言葉があります。
例えば、みんなが外出自粛しているのだから自分も自粛しなければならないという雰囲気になりそれが外圧となってみんなに言動(外出自粛)を合わせてしまうことを同調圧力と言います。
しかし今回のコロナによる外出自粛に関してはその効果が限定的のようです。
つまり「赤信号みんなで渡れば怖くない」>「同調圧力」という力関係になっているのです。
服従の心理が働くから
外出自粛要請があっても会社へ行くのは会社からの要請(命令)があるからです。
もし会社から在宅勤務、自宅待機と言われたらどうでしょうか。中には「それでも出社します」という忠誠心を誇示する人もいるかもしれませんが基本的に会社の意向に従うでしょう。
つまり会社へ行くのは会社からの命令であって自分の意思ではないのです。
ここに「服従の心理」があります。
これは自己の問題ではなく上司(会社)の問題で自分の意思とは関係ないと言っているわけです。
突き詰めると外出自粛要請無視は会社の責任であって自分には全く責任はないという「会社への責任転嫁」なのです。
責任転換することによって自分への罪悪感がなくなるもしくは軽減されるのです。
もはや安部首相の言うことを信用していないから
安部首相がいくら「人との接触の8割減」を要請してもそれに従わない人が多くいるのは安部首相の過去の行いが原因かもしれません。
森友、加計、桜の会問題に安部夫人問題、コロナ感染初期動作の遅れ、困っている人に30万円から一律10万円への変更、ついでに笑えるアベノマスク問題(不良品かつ4社がいつの間にか5社に)。
次から次へとお粗末な問題・対応が噴出してきて安部首相が何か言えば言うほど嘘くさく見えてくる始末。
そんな首相の言葉に誰が真剣に耳を傾けるのでしょうか。
言葉が軽い、軽いのです。なんだか2006〜2007年の第一次安部内閣時代に似てきて非常に嫌な気分です。
おまけ
外出自粛なのに山登りする言い訳
私は通常シーズン・天候によりますが月に1〜4回日帰り登山をしています。
ヤマレコという登山ブログがありそれを見ると外出自粛要請以来山に行く人は必ずと言っていい程言い訳をして行っています。
「3密にならないように普段混雑が予想される登山道へは行かない」
「車で移動し電車移動はしていない」
「人気のいない早朝に登っている」
「マスクをして登っている」
外出自粛なが鉄則なのでもう完全に「言い訳」なのです。
そう言う私は無職なので満員電車に乗って会社へ行く必要もなく感染の可能性が低い環境下にいるのですが、天候次第ではありますが冬期には週1回の割合で電車に乗って近所の山(高尾山塊)へ行っている始末。
移動距離30km、山行時間6時間半程度。
その私の言い訳は「公園を走るよりマシ」です。全く人のことは言えません。
この記事へのコメントはありません。