アイキャッチ画像:共同通信社
これでもかと言わんばかりに次から次へと問題が噴出している安倍内閣。コロナがなければもっと上手く立ち回れた(誤魔化すことができた)と思っているであろう安倍首相はまさに「コロナ憎し」というところでしょう。
しかしここへ来てお友達内閣の限界が来ています。もともと地頭の悪い安倍首相には「類は友を呼ぶ」の側近ばかりなのでこういう非常時には頭が空回りばかりします。
あちこち好き勝手に人事決定しているので官僚も安倍内閣に忖度するようになるのです。
賭け麻雀で黒田高検検事総長が辞任
検事長の定年延長問題では一般の国民ばかりでなく検事長OBやなぜか多くの芸能人までが大反対していました。
ところがまたまた「文春砲」で黒田検事長の賭け麻雀が発覚し辞任に追い込まれました。
この時一緒に賭け麻雀をしていたのがなんと産経新聞記者2名と朝日新聞記者1名です。また妙な組み合わせです。産経と朝日は天敵ですから。
さらに黒田検事長の帰りのタクシー代も記者持ちが発覚。
これで撃沈。
これって完全なメディアと権力者の「癒着」です。
しかもこのような行為は日本の記者の中ではかなり以前から常態化しているわけです。
外出自粛の中、3密の典型である麻雀をすること自体問題である上に賭けていたことも当然問題で案外この検事長、ギャンブル依存症かもしれません。
ギャンブル依存症は精神障害者です。そしてその精神障害者に法をさばかせてさらに最高裁検事長にさせよとしたのですね、日本政府は。
新聞記者の政治家との癒着とスクープ
安倍首相もお気に入りの記者との食事会は日常的に行われていたようです。
日本の記者は誰よりも早く新しい記事を入手したいと思い政治家の懐に入ろうとします。その取り込み方が食事会であったりゴルフであったりマージャンであったりするのです。
そこで取材対象者の本音を聞き出して誰よりも早く記事にしようとするのです。他社(他者)を出し抜きいち早く自社(自分)が記事にする、それが「スクープ」だと信じているわけです。
しかし考えて見てください。日本の新聞・TV記者のスクープっていずれ発表される記事ばかりではないでしょうか。
そんな記事を「スクープ」と言えるのか甚だ疑問です。
本来「スクープ」とは政治家の暗部を探り出しそれを暴くのが「スクープ」です。
つまり政治家の不正疑惑を暴き国民に判断材料を提供することが記者の仕事でありその中で突出した大きな内容が「スクープ」になるのではないでしょうか。
例えば後述するロッキード事件での立花隆さんのように。
権力者には腐敗がつきものでその腐敗をチェックするのがメディアの重要な仕事でしょう。
日本の記者は「スクープ」の真の意味を勘違いしているのです。
ロッキード事件でも新聞記者は政治家と癒着
アメリカのロッキード社の日本への航空機の売り込みに絡む贈収賄事件で日本の田中元首相、全日空や丸紅の幹部などが起訴されました。
1976年ですから今から44年も前の話です。
この時この事件へ鋭く切り込んだのは文藝春秋(確か主に週刊文春を担当されていたはず)をやめフリーライターになっていた立花隆さん(作家)でした。
彼が次々と田中角栄(事件当時の首相)の受託収賄について暴いて行ったのです。
当時の新聞記者はのちにあんなこと(立花隆さんが暴いたこと)はとっくに知っていた、と負け惜しみのように話していたそうですがこの話だけでも当時から日本の記者が腐敗していることがわかります。
つまりもし田中角栄の不正が分かっていたのならあるいは疑惑を持っていたのならなぜその記者は田中角栄を追求しなかったのでしょうか。
それはその記者(たち)が政治家や官僚と癒着し田中角栄に忖度していたからこそ深く追求をしなかったのです。
そしてそれが記者としての一番の問題なのです。本人に政治家との癒着の自覚がないまま取材をしているわけですから。
「接待=癒着→情が絡む→忖度する→不正・疑惑を見逃す」です。
もう40年以上前からすでに日本の記者は取材方法を間違え政治家と癒着していたのです。
もっとも彼らはそれを「政治家の懐に入るため必要な事だ、癒着ではない」と言い張るでしょうが、アメリカメディアの記者は政治家とはコーヒー一杯程度を上限として接するようにしてそれ以上は癒着と自覚しているのです。
日本の記者とは大違いですね。
新聞記者としての倫理の問題であり資質が問われます。
国民のメディアに対する不信感はますます拡大
新聞の購読数の激減、テレビの視聴率の低下はインターネットの発達のせいだけではありません。
内容のない記事、番組が多すぎるせいも営業不振の大きな原因です。
日本記者クラブも日本の新聞社同士の癒着でしょう。
夜駆け・朝駆けなど本当に意味があるのでしょうか。いずれ公表されることを他社より早く記事を入手したからといってそれがどうなるのでしょう。
毎日発行している新聞ではそれが発行部数の増加につながるという時代ではもはやないはずです。ネットができて情報は瞬時に世界中に流れるのですから。
紙からネットに移行している今、新聞社の仕事は時間より質(内容)なはずです。
最近のテレビも誤報が多く問題になっています。これはテレビ局の(視聴者が減って)広告収入が減ってきたので下請・孫請に仕事を出しているからです。
その下請も局から低価格で仕事を受注しているので人材不足となるのです。
このためかなり番組の質が悪くなっています。
テレビはおバカが作っておバカが見る時代なのです。
まとめ
・新聞・TV記者は政治家を始め権力者と取材するときは接待は癒着と考えるべきです。
・新聞社やTV局は今後政治家やその他の権力者に接待はしないと国民の前で宣言し自分たちの仕事に対する倫理観をもう一度勉強し直す必要があります。
・スクープ(scoop)は直訳すると「(スプーン・手などで)すくい上げる。すくい取る。」という意味です。
権力者の不正・疑惑をすくい取り国民の正しい判断材料を提供するような「スクープ」をとってきてください。
・新聞はかつて「ヤクザが売りインテリが作る」と言われましたが今ではテレビと同じように「おバカが売りおバカが作る」になってしまいました。
・昔はメディアによって経済一流、政治は二流と言われてきましたがそう言ったメディアの記者も二流でした。
今では経済、政治、メディアとも横並びに二流です。頑張れ、日本!
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