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韓国人による反日はもとより日本人による嫌韓意識はもはや一般人レベルのところまで来ています。
ただしその反日、嫌韓への過程は互いに異なる方法によっています。
韓国人の反日活動は韓国政府主導(あるいは市民団体中心)をベースにしているのに対し日本人による嫌韓意識は2010年代以降の日本との約束事の一方的反故が発端でありさらに韓国系新聞の日本語版ネット記事による反日的記事がそれに拍車をかけました。
特に韓国系新聞はなぜ日本人をあえて煽るような反日記事を書き続けるのでしょうか。
目次
韓国が日本を非難し続ける根本的理由
韓国は日韓併合(実質的な日本の植民地)以来反日になっているとは日本人も知っている通りです。
その後近年では韓国側が従軍慰安婦、微用工、韓国軍のレーダー照射など様々な問題を投げかけています。
日本人から見るともう無理難題、国際的にも通用しない無法国家と思うことでしょう。
しかしなぜ韓国人はそうまでして日本を非難するのでしょうか。
下記は小倉紀蔵氏の「韓国の行動原理」をベースに編集しています。
朱子学の影響を強く受けている
それは韓国が儒教の一派である朱子学(南宋の朱子が集大成した)の影響を朝鮮王朝以来500年以上強く受けているからです。
朱子学は宇宙や人倫社会のすべてを理と気で説明します。
理とは根源的な道徳で宇宙の秩序の原理であると同時に人間関係の根本を規定する道徳。
気とは霊的物質。
儒教では道徳観が強く反映され利益の排除を考えられがちですが実際は義と利の双方を全うするのが儒の理想です。
しかし朱子学は儒教の中でも厳格な道徳主義・動機主義を打ち出し義を強調し利に対して厳格な思想を持っています。
この思想が現代の韓国にも受け継がれているのです。
そして「この理を体現している人間でなければ主体性を持つことはできない。」
「理を体現できないならば他者に支配されてしまう。」
だから「人間関係がすべて自分と相手のどちらがよりたくさんの理を体現しているか」という競争的なものにならざるを得ない。
したがって韓国人は「自分がさして道徳的な生を営んでいるわけでもないのに四六時中道徳ばかり叫んでいる」という具合になります。
これを韓国と日本に当てはめると
韓国と日本のどちらがよりたくさんの理(根源的な道徳)を体現しているか、ということになります。
もっとわかりやすくいうと
従軍慰安婦、微用工問題は道徳的問題であり韓国に理があって日本にはなく自分たちが声高く言わなければ日本に負けて(支配されて)しまうと考えているのです。
そして例え国際法違反だとしても「道徳」が「法」の上をいくのがこの韓国流朱子学なのです。
ただし韓国は完全に法を無視したり法に弱いという声もありますが現実はそうも言えません。
なぜなら2019年の韓国の日本産水産物輸入規制問題でWTO(世界貿易機関)において日本が完敗したことでもわかる通りグローバルでは日本より韓国の法曹界の方が強いと言う見方もあります。(というより日本の法曹界があまりにも内向きすぎて世界ではあまり通用しないらい)
またこの朱子学は南宋(中国)がオリジナルですがそれを理解し尊重した韓国はそれを理解しなかった(必要ではなかった)日本を見下しているところもあります。(日本から見ると全く不当なことなのですが小中華思想を持っている韓国ではそれが正当な考え方となります)
それ故儒教の本家中国には文句を言えないが日本にはたくさん言う現象が起きてしまうのです。
つまり韓国の道徳というのは相手を叩き潰すときに使われる武器なのです。
韓国と日本では異なる市民の根源
従軍慰安婦問題では韓国の市民団体「挺対協」(現「正義連」)が日韓政府の合意を実質ぶち壊しました。なぜそんなに市民団体に力があったのでしょうか。
そもそも日本と韓国では「市民」という言葉の成り立ちが異なっているのです。(発音は日本語と同じ「シミン」)
韓国では市民の根源は「士大夫(したいふ)」に遡ります。士大夫は旧中国社会での上流階級でのちに上級官史、さらに科挙官僚、地主、文人と変化していきました。
朝鮮王朝時代には士大夫は「王の間違った判断を正すことができるのは自分たちしかいない」という精神性を持っていたのです。
国政を授かった韓国のエリートには(1)高学歴な人文的教養を持った士大夫型(2)日韓併合植民統治の影響を受けたテクノクラート型(3)日韓併合植民統治の影響を受けた軍人型のタイプがありました。
1960年代から1980年代は軍人型がエリートでしたが1980年代になって民衆という概念が生まれ社会の前面に登場し社会変革の中心的な主体となり、それが士大夫型の抵抗メンタリティと合体しました。
1990年代には後期資本主義社会となり消費経済と結びついた大衆が台頭しそれが前面に出てきました。
そしてそれがそのまま続くかと思っていると逆に社会の道徳志向性が高く強くなったのです。
このようなプロセスを経て士大夫の思考を残す「市民」が誕生し「政権の間違った政策や判断を声高に非難・糾弾して正す」という政治的行為に邁進していくのです。
したがって「市民」は政府や強大な権力を持つ大統領に対しても怯むことはありません。
こうして韓国人がいう「わが国の市民は権力がある」「市民は政府より強い権力だ」という市民が出来上がっていったのです。
事実文大統領は日本では考えられないほど権力を持っているのですが市民団体に担ぎ上げられた大統領ですので市民団体には頭が上がらずその存在感が非常に薄いのは周知の通りです。
こうして韓国は市民団体という政治のアマチュアが色々口を出すので外交がうまく機能しないのです。
一方日本の市民の根源は江戸時代の農村における「自治」(庄屋、肝煎、名主などが主体)にありそれが近代の総中間層へと変化しました。
それ故日本は封建体制の遺風として道徳思考的な反権力の概念が薄くなりお上に従順になって法を遵守するのです。
逆に韓国は王朝体制の遺風として法的な自治の概念が薄くなり道徳が法の上を行くことになります。
故に韓国は国家というより「常に変革する運動団体」といった方が妥当かもしれません。
このため法を無視するような(ように見える)韓国に対して非常に違和感を持つ日本人が多くなるのです。
韓国がなぜ北朝鮮に頭が上がらないのか
韓国の道徳というのは相手を叩き潰すときに使われる武器であると先述しました。
このことはそっくり韓国と北朝鮮の関係にも当てはまります。
正しいものを守り邪悪なものを排除するという原理主義化した朱子学の正統性概念を持つのが韓国の士大夫型知識人エリートの思考です。
言い換えれば日本やアメリカなどの邪悪なものと戦って正義を守ったかということが評価の対象になるのです。
それから言えば北朝鮮は韓国の正統性よりも高い位置にいることになるのです。
なぜなら韓国は日本やアメリカに譲歩したり妥協したりした売国的行為を繰り返してきた国であり一方北朝鮮は今もってそれらアメリカや日本と戦い飢えとも戦いつつ民族の主体性を保っているからです。
それ故韓国の知識人エリートは道徳的に北朝鮮に頭が上がらず擦り寄っていくのです。
悲しいサガですね。
韓国保守系新聞の日本語版ネット記事はなぜ反日なのか
毎日反日的なネット記事を描き続ける韓国保守系新聞はなぜそのような行為に及んでいるのでしょうか。
これは以前にもブログで書きましたが別に東京特派員が書きたくて書いているというよりも韓国の本社命令で書いているというのが真相のようです。
一人あたりのGDPは日本をすでに越すほどに経済が発達した韓国(2021年のGDPは日本の方が上でしたが)の各財閥に道徳性があるとはとても思えません。
韓国ビジネスマンなどは実に上昇志向が強く日本がエコノミックアニマルと言われた時代の日本の商社マンを彷彿させかなりエゲツないことをやっているはずです。
そう思っているとやはりこれら財閥系企業は韓国内の知識層からは高い評価を受けていないようです。
それは合理的精神、効率化、節操のなさ、正統性の否定が韓国経済を牽引してきたのにもかかわらず韓国の道徳思考風土がそれを高く評価しないのです。
しかし保守系新聞と言われる朝鮮日報、東亜日報、中央日報などは利益追求の韓国企業の報道をよく出しています。
それでも日本に関する記事は経済的な記事でも反日的な記事になってしまいます。
なぜならメディアやアカデミズムの世界では依然利益追求よりも道徳性正統性の信奉者が多いからなのです。
メディアの報道やコラムには道徳的正統性の言論が溢れているのです。
特に中央日報は反日的記事の報道が強く、逆に朝鮮日報は現在それを意識的に抑制しようとしています。
合理性、効率性重視をする韓国の経済人は利益追求と道徳性思考の板挟みになっていますが、彼らは心の故郷である儒教の精神に帰っていく可能性が高い気がするのです。
終わりに
日常とは異なる正義とか道徳などの概念に支配されて実際の生活は阻害されてしまいがちです。
そのためその概念と生の間に立って生きづらくなっている韓国人が多くなってきています。
韓国の市民団体がなぜ強く(大きく)日本のそれが弱い(小さい)のかなんとなく分かったのではないでしょうか。
国家として日本と韓国はどちらが優れているというよりどちらが住みやすいかと問われれば間違いなく日本の方が住みやすいでしょう。
もちろん日本には同調圧力など他人の顔色を見ながら生きるような私の嫌いな不自由さはあり日本人でも日本は住みづらいと思う人がたくさんいます。
韓国は民主化になってまだ30年余りで急激に経済成長した歪みが今出ているのです。
韓国保守系新聞が日本語版で日本に対してネガティブなことしか書かないのは書かないというだけでなく書けないのです。
親日的というレッテルを貼られてしまうのを恐れているのです。したがって日本に関してポジティブな記事を書くことは今でもタブーとなるのです。
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