5月4日(土)に友人2人で登山に来ていた千葉県在住の登山客が丹沢山塊の鍋割山にて落雷で亡くなったとデジタルニュースが伝えました。
痛ましいことです。
通報は午後1時40分頃ですのでちょうど私が同日雷鳴&霰の中雲取山を下山している最中の出来事のようです。
やっぱり山中での落雷はあるんですね。雨が降り始めたので木の下に行っての惨事です。その友人は木の下へは行かず、雨具を着ている最中の出来事のよう。山頂での出来事ではないでしょう。山頂には小屋がありますから。
丹沢山塊でも霰や雹、雷があったと山のブログで知っていたのですが、まさか落雷で亡くなった方がいらっしゃったとは思いませんでした。
雷の時、木の下は危険というのは以前から指摘されていたので私は雷鳴があって雨が降ったとしても木の下には避難しません。
同日雲取でも「雲取山まであと20分です。頑張ってください。」と母子に優しい声をかけていた男性がいましたが、木の下で雨宿りをしていたのでその時私は危ないなと思ったものです。
山のブログを見るとこの日鍋割山へ行った人は結構いたようで、いずれも天気予報では晴れだったと言ってます。おそらく前日の天気予報を見てそう思ったのではないでしょうか。
通日早朝のニューズでは山は午後から天候が崩れると伝えていました。
雲取も登山口に到着した時点では快晴で徐々に雲が広がってきたのです。
それにしても人ってこんなに簡単に命を落とすのですね。4月の北アルプスの4名の遭難死もそうです。
山で死んでも次から次と人はまた登ってきます。なんなんでしょうね、山って。
鍋割山は1274mの低山ですが、山は何があるかわからないということでしょう。
ベテラン登山者などは雲の種類から山天気を推測できるのでしょうが、無知な私は空を見てもさっぱりわかりません。晴れている、曇っている、雲色が濃いと雨雲か、なんて程度しかわかりません。
山地図などもよく読めません。地図上の北とコンパスの北は緯度が7°前後地域によってずれているのは知っていますが、地図にコンパスを載せる時もいい加減にこのくらいが7°だろうなんてやっています。
また、そもそも地図は持参しますが現在はほとんど地図を見ません。
一般登山道であれば標識(道票)が立っていますから。なければピンクのテープが木の幹に巻いてあります。ただし、このテープは間違っている場合もありその時は悲惨な目に遭います。
奥多摩のような低山だらけの山々でも何度も道間違いをしている私です。一度はもうダメかもと思ったこともあります。
脚力はついたけどまだまだ知力・経験が足りないのですね。
いけませんね。こんなんじゃ。とにかく山はサクサクいきたいというのが私のモットーなので知っっているつもりのルートしか行かないのが問題なのかも。
筋トレの成果を確認するために山に行っているような気もします。
今年は少しチャレンジしてみたいですね。
100%ソロ登山なのでどんな低山でも慎重さは失わないように気をつけたいところです。
それにしても、なぜ彼なのでしょう。
なぜそ彼が鍋割山山中で落雷にあって死んだのでしょう。
他にも同じ山を登山中の人がいたはずです。
なぜ彼なのでしょう。
単に運が悪かったのでしょうか。
それとも何か意味があったのでしょうか。
別にシニカルな意味ではなく「人生に意味がない」ということもできます。
ただ単に世界中の中から一人が命を消しただけ、ということなのかも知れません。
地球上の一つの生物が生命を失い、そしてまた一つ誕生する。ただその繰り返しの一環なのでしょうか。
人生に意味を求めるのは間違いなのでしょうか。
なぜあの時彼だけが死んだのでしょう。
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