GW中のせいか映画館も混んでいます。
今日は新宿のシネマカリテで映画を観ようと思っていたのですが、すでに空席は前列端の1席のみ。ミニシアターなので流石に前列端では見る気なし。
やむを得ず日比谷の「TOHOシネマズ シャンテ」が空席があるとわかり急遽東京駅へ直行。
久しぶりのTOHOシネマズ シャンテ
東京駅はもう1年以上行っていない気がします。ほとんど新宿止まりですから。
映画館は日比谷にあり有楽町駅下車が一番映画館に近いのですが東京駅から有楽町駅まで徒歩10分程度なので久し振りの東京駅で下車して駅周囲を確認。
丸の内南口は国内外の観光客で大変混んでいたのでそそくさとそこを通過して旧東京中央郵便局のビル(KITTEビル)の横を通って線路沿いに歩いていると懐かしくなりました。かつては仕事でこのあたりを通っていたのですから。
この映画館で最後に映画を観たのはいつだったか思い出せません。
映画は「聖地には蜘蛛が巣を張る」という映画です。
3、4つ劇場が入っておりこの映画は地下1階になっていますが、座席指定は今時の液晶パネルで検索するタイプではなく紙に書かれた座席を指定するというものでその席が現在空席かどうかは見てもすぐにはわかりません。
結構古い映画館です。昔は結構観に来ていたのですが私の歳とともに映画館も古くなっているのです。
予約後時間があったので周囲を散策すると日比谷公園では地元産の食のフェスティバルが開催され昼間からお酒を飲む姿が。
シャンテ裏の東京ミッドタウン日比谷前の広場では男女数名が歌っていました。午後から本番があるミュージカルの番宣のようです。
日本って色々なところで毎日のように何かしらのイベントが行われて外国人から見て飽きない国といわれるのも頷けます。
「聖地には蜘蛛が巣を張る」の超簡単なあらずじ
いつものように監督、俳優の詳細は知らずほとんどタイトルと作品のあらすじをざっと読んで直感で選択して観ました。
この映画はイランで2000年代初頭に実在した殺人鬼サイードによる娼婦の連続殺人殺人事件をもとに作られた犯罪映画です。
ところはイランの聖地マシュハド。普段は妻子を持つ平凡な家庭人。しかし「街を浄化する」という声明のもとに犯罪を繰り返し、死体の捨て場所をメディアに電話し翌日の新聞でそれを確認するという異常者、狂信者。
真相を追うべくある女性ジャーナリストが現地に乗り込み、犯行声明を受け取る現地のジャーナリストと一緒に犯人を追います。最後は自分が娼婦になりすまし、命懸けで何とか犯人逮捕に至ります。
しかしそこは戒律にきびしく女性蔑視のイスラム教社会。
売春とクスリをやる娼婦など社会では「腐敗したもの」と見做され世間では犯人は英雄視されることに。
裁判官から弁護士に至るまで男性社会のなかでその裁判の判決はいかに。
理解が難しいイスラム社会
私は宗教的にはほとんど無宗教になりますがそうはいっても日本社会のなかで生きていると神道や仏教が私の心身に自分では気がつかないほど入っているのではないかと思います。
それからイスラム教社会を見ると異様です。正しくこの宗教を知るともっと別の考えを持つかもしれませんが、日本でも根強く残っている男尊女卑の習慣がありますが、イスラム教社会と比べると日本社会が全く男女平等に見えてきます。
一体彼らは何世紀前からあのような生き方をし今後いつまでそうして生きていくのでしょうか。
日本人の特徴として宗教にそれほど深い関心は持たないし欧米でもキリスト教離れが進んでいるそうですが、イスラム教というのはどうもそうではないようです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のような一神教のように絶対神を持たない日本の宗教観のなかで生まれてきてよかったなぁと改めて感じます。
終わりに
結構重い映画でした。
この映画がイラン社会の全てを現しているわけではありませんが、その一端を現しているのに間違いありません。
イランに限らずイスラム教社会は一体何世紀から時計が止まっているのでしょうか。
とても21世紀に生きているとは思えません。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のような一神教は容易に自分が善で他者が悪となりやすい宗教です。
仏教や神道のような寛大で曖昧な宗教の中で生活している私はつくづく他宗教でなくて良かったと思うのです。
しかし一方で旧統一教会(韓国)やエホバの商人(アメリカ)のようなカルト教の存在を許し日本国がいまだにカルト教と認識していないのは日本人の宗教観の曖昧性、無関心が原因でしょう。
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