雑記

人はなぜ過去の記憶、思い出を美化してしまうのか

週3回行くジムの帰りに立ち寄る和食屋があります。まあ比較的リーズナブルな価格で家庭的な料理を出してくれます。しかし消費税が10%になってその分価格アップされ、さらにおかずの量が微妙に少なくなったのは残念です。

この和食屋の近くに外資系の会社があるらしく時々外国人社員が昼食に来ます。また観光と思われる外国人も時々見かけます。

今日も研修なのか日本人女性スタッフ2名が外国人4名を引率して昼食に来ました。欧米人男性1名にアジア人女性3名です。

先に席に着いた20代後半と思われる日本人女性が外国人男性に英語で話しかけるのですが、これがなんとも拙い英語。当然相手の男性は沈黙。なんだか聞いていて恥ずかしくなるのです。私の現役時代の方がもっと上手かったような気がします。

しかし、ちょっと考えると自分も拙い英語だったような。ただ彼女よりはマシという思いもあるのです。

それにしても「私はもっと上手かった」なんて思うのは、どうやら自分の過去を美化しているのかもしれません。現役時代の私の英語力など大したことはなかったはずなのに。

私が初めて仕事兼研修でアメリカへ行った時に工場のエジプト系アメリカ人女性社員から「私は正直者だから言うけど、あなたは英語は全然理解できなかった。」と言われたのを思い出しました。非常に恥ずかしい思い出としてずっと今でも記憶に残っています。

逆に言えばこの記憶があるからアメリカから帰っても英語を勉強し続けて今も勉強しているのです。

過去の記憶を美化するメカニズム

過去の記憶、思い出を美化してしまうメカニズムは、人の脳の性質によるものなのです。人の脳は一度覚えたものを一旦忘れても再度それを思い出そうとした時、その記憶はより深く刻み込まれますが、それを思い出すたびに微妙にその内容が変化しながら記憶されてしまうのです。

そしていい記憶、嫌な記憶のうち、嫌な記憶にはそれを抑制しようとする意識が働き思い出しにくくなるのです。

また人は快感を求める動物でもありそれが人の本能です。したがっていい記憶、思い出を思い出すのが「快感」となるためいい思い出だけをどんどん抽出してしまうのです。

思い出補正

こういった過去の記憶の美化は「思い出補正」と言われています。

大人になって子供時代の話をしても実際とは異なる事実を自分に都合よく作り変えてしまうことがあります。いわば「記憶の偽造」なのですが、これが実に詳細に渡ってスムーズに行われるのが驚きです。

小学校時代の同級生が集まって同窓会で話が弾んだところで「あの時は、…」で互いの記憶が異なるのはこの思い出補正が働いているのです。それぞれ違う補正を行っているのです。

しかし私は子供時代のことはほとんど夢でしか思い出さないのですが、この夢も事実とは異なる「偽造」がされているのかもしれませんね。

あるいはひょっとして夢と思い出とは脳の中の異なった「引き出し(ファイル)」に入った記憶なのかもしれません。夢は様々な記憶をランダムにつなげてストーリー化しますが、思い出はひとつの事実(ストーリー)を偽造(変化)させたものなのでしょう。

私の夢は以前ブログ(下記)にも書きましたが、ほとんどいい夢ではないのでもっと思い出、記憶を美化していい夢を見せてくらないものかと思ってしまいます。

「昔は良かった」という人は

加齢にしたがって、「昔は良かった」とか「私の時代のあの頃は…」なんていう言い方をする人は注意が必要かもしれません。

なぜならそういう言い方をする人は現在の自分の人生もしくは社会あるいるその両方に不満を持ってると考えられるからです。

こういう人にはポジティブシンキングが必要ですが、それをあまり強制しすぎても逆効果です。うつ病の人に「がんばろう!」なんていうとうつが悪化するのと同じことです。

やはり何か興味の持てるもの、打ち込めるものがあれば一番いいでしょうね。

思い出の美化に男女に差はあるのか

恋愛に関して男性の方が昔の彼女を思って忘れずにいるけど、女性は新しい彼氏ができると昔の彼氏をすぐ忘れるという話を聞いたことはあります。

記憶は思い出そうとするたびに脳に深く刻まれるという先述の話からすると、男性の方が思い出を美化しやすいのでしょうか。

ある精神科医の話では、男性より女性の方が過去の記憶にこだわったり、覚えていたりするそうです。

女性は記憶するときに感情とセットにする傾向があるので感情的になったりした時の記憶は非常に覚えているのです。

それに対して男性は興味のある記憶は非常に強く覚えているのですが、興味がないとすぐ忘れてしまうのです。

したがって男性も女性も非常に強い感情(=男性は興味)を持った時にはその思い出を美化する可能性があるというわけです。

私などは今までの人生の中で恋愛経験が非常に少ないので断片的ですがまだ覚えていることがあります。これも夢と同様いい思い出としては残っていません。

どうも私は夢にしても過去の記憶にしてもいいことはなかったような。

もちろん60年以上生きてきて楽しかったこともあったはずなのですが、ほとんど思い出しませんし、夢にも出てきません。

何か私の生き方に問題があったのでしょうか。

あるいは思い出補正が一種の人の心の防衛本能とするならば、私にはその本能がないのでしょうか。

何か非常に複雑な気分です。

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