正月も3日目。
元旦には膝を心配しながらも8ヶ月振りにして今年初の登山。といっても高尾山で初詣と城山で昼食してピストンという超軽い登山でしたが。
登山の帰りにほとんどシャッターが下りている中空いていた地元の喫茶店で小休憩。
翌日も今日もいつものように喫茶店をハシゴしてネットサーフフィンやら読書をしていました。
こうなるともはや正月など意味をなさずほとんど通常の生活と変わりはありません。
ひとり者で両親はすでに他界した私にとってはもう正月など日常生活の通過地点でしかなくなりました。
毎年お節料理では下痢か便秘でした
子供の頃は正月はお年玉があって普段食さない「お節料理」がありそれが楽しみでもあったのですが今ではそんなものを食するとお腹を壊します。
母親が生きていた頃は毎年年末年始実家に行って取り寄せと自作のお節料理を食し毎回便秘か下痢をしていたものです。
普段超粗食生活をしている私のお腹がびっくりしたのでしょう。それにお節料理は基本的に保存食なので塩分が多めで塩っぱくて美味しいとは思わなくなりました。
しかしもう母親がいない実家ではお節料理を食することもないでしょう。
正月3が日の喫茶店
正月元旦は流石に喫茶店も閉まっているところも多いのですが新宿などの駅周辺とか人通りの多いエリアは元旦でも営業していたようです。
やはり初詣などの客や私のようにひとり者が行くところがなくて喫茶店でスマホをいじくっているだけの人たちが多いのでしょう。
しかし元旦は閉店でも2日目からはほとんどの喫茶店は営業しています。
東京はひとり者の人口が日本で一番多いのです。ここでいうひとり者というのは大学生、独身の社会人や配偶者を亡くした高齢者や私のようなもともとの単身者などが該当します。
正月といえども家で勉強するのは気が滅入るのか集中できないのか勉強している学生も結構いました。
また正月のせいか本を読んでいる人も見受けられます。しかしもはや紙の本や新聞の読者はほとんど中高年以上に限られてきました。
結局喫茶店も正月だからといって特に変化はなくいつも通りな感じです。ただちょっといつものより買い物袋が多い感じがしましたが。
正月から働く喫茶店のスタッフは学生ばかりではなく今日行った喫茶店では明かに高齢者と思しき女性もいました。この女性は普段見かけない人なのですが正月特別に雇われたのでしょうか。
痩せていて不健康そうに見えなんだか痛々しい感じさえしました。
働くのが好きなのか生活のために働かざるを得ないのかはわかりません。
もう働きたくはない
私などはもう働きたくはありません。従って金欠ですが何とか生きています。
思えば会社員時代インフルエンザにかかったとき以外ほとんど無欠勤で有給休暇もあまり取らなかったような気がします。
別に私が会社人間だったわけではありませんし、むしろそういう人間を哀れと思っていた方です。
それでも組織の中で働いていけるような性格ではない私が何とか会社員をやってきたのですから自分でも驚きます。
しかし無職でもまだ何とか生きているのはそのおかげで預金ができ個人年金があったからでしょう。
それもいつ枯渇するかと今までドキドキしていたのですが最近はなるようにしかならないだろうなんて高を括っているところがあり自分で自分を心配しています。
都心を歩くとホームレスがおり毎回「明日は我が身」と思っているのですが、あまり思うと「正夢」になってしまうので考えないようにしています。
それでも彼ら(たまに彼女ら)はどうしてホームレスになったのか考えることがあります。欧米のホームレスはほとんどアル中か薬中です。
しかし日本のホームレスはそうではありません。失業してしまったり現実逃避したりした人が多いと聞きます。
ちょっとした行き違いでホームレスになることがあるのです。だから私も気をつけているのです。
普段質素に暮らしているのは筋トレによるボディメイキングのためだけではありません。
加齢により物欲が少なくなったせいもあるのです。若い頃は物欲がなくなるなんて考えたこともありませんでした。
会社員として生活の糧を得ていた頃はやはりストレスが溜まっていたのです。その代償として買い物があったのではと今では思っています。
しかしもはやその必要はないので自ずと質素な生活ができるのです。
今が一番幸せなのかも
会社員時代は毎週末ジムで腰痛対策で水中ウォーキングをし、電車の中、布団の中で本を読んだりするのが好きでした。以前は映画を見るのも好きで40代の頃は年間60〜70本くらい映画館で映画を見ていたほどです。
それでもそれらは一種の現実逃避だったかもしれません。私は希望する職種であったセールスエンジニアになり会社も外資系で海外出張も何度かでき仕事の満足度は70%程度だったのではないでしょうか。
私の人生は若い頃は結構紆余曲折しているのですがそれでも大きく道を踏みはずせずここまでこれたのは本当にラッキーでした。
ちょっとしたボタンのかけ違いで人生はガラッと変わってしまうことはありますから。
過去のいろいろ嫌な自分があって今の自分があるのです。
そう考えると今の自分は幸せなのかもと一瞬考えたことがあります。
それは昨年母親が亡くなりお通夜で社会人になったから一度も会ったことがなかった従兄弟とその家族が集まって食事をしているときふと感じたのです。
従兄弟ともいえども他人ですからいろいろ話しているとお互いの人生がちょっとかい間見えてくるのです。
彼らに自分の今の生活を話しているときに「今の俺って幸せなんじゃないか」と思ったのです。
変形性右膝関節症になった山で(下山時)走れなくなった分を差し引いてもブログを書いたりジムで筋トレをしてボディメイキングをしたり誰にも邪魔されることなく自分の好きなことができる今が自分にとって幸せなことではないのか、と思ったのです。
別に彼らと自分を比較したからではありません。
もう正月はなくていい
私にとって正月はもはや不要なイベントです。
12月になるとクリスマスがあったり正月への準備があったりで周囲はまさしく師走なのですがひとり者で無職の私にとっては12月もそれ以外の月も同じなのです。
他人がソワソワしているのを感じつつ私個人は何をそんなにソワソワ、バタバタしているのだろうと思うのです。
正月がそんなに喜ばしいものではないはずです。
一つだけ確実に言える事は「また一つ死に近づいた」という事です。
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