ジムへ行く日に時々地下鉄で見かけるまだ20代と思しき若い男性がいます。今日も見かけました。目が不自由で白い杖をついて地下鉄に乗り、いつもそばに母親らしき女性が心配そうについています。なんとか五体満足の私でもストレスがたまるのは、朝の混雑時期の地下鉄です。目が不自由であればなおさらでしょう。母親らしく人がついているということは、まだ杖をつき始めて間もないのか、あるいは、このルートにまだ慣れていないのでしょう。
目をつぶっていますが、その顔は今時の優しい感じのイケメンの感じです。生まれつきなのか、何か事故にあったのかわかりません。若いのにこれからずっとこんな感じで生きていくのでしょうか。私なら世をはかなんで自殺するかもしれません。彼はどう自分と現状の折り合いをつけた、あるいはつけようとしているのでしょうか。
なんだかんだと、いろいろ紆余曲折した人生を歩んできたと思っている私(と言っても波乱万丈というには程遠いのですが)は、これまで運が良かったかな。目の不自由な彼を見るとそれを再認識させられます。でも彼は彼で現状を受け入れ結構幸福感を感じているかも。人の心のうちは誰にもわかりません。秋だからでしょうか、少し感傷的になったようです。
ジムのスタッフも少し変化した?
今日のジムは、久しぶりに82歳の徘徊爺さんが「出勤」してきました。周囲の爺さんから「4年ぶりじゃないの」なんて軽い冗談を言われていました。いつものようにダンベルトレーニンッグ用ベンチに腰を曲げて座っています。もう指定席みたいなもので誰も注意しません。もう男性の平均年齢です。ジムに来るだけでリスペクトの対象となっています。
先日のトラブルのせいか、今日のジムのスタッフはキビキビしていました。筋トレコーナーにも顔を出し、私が使用していたパワーラックのベンチを私の使用後、変な音がしたと飛んできて、点検を始めました。先日私がガツンと言ったのでジム内でミーティングがあったんでしょうね。あるいは、私が来る時間帯だけかもしれません。しかし、ジムのスタッフの体質なんてそんなに急に変わりませんから。彼らにはほとんど期待してません。
ジムのロッカールームに入ろうとしたら、土足でロッッカールームに入ってきた若い男性がいました。おそらく初めてジムに来たんでしょう。ロッカールームは靴を脱ぐところに段差はないので、わからなかったのかもしれません。いつもの私なら注意したかもしれませんが、面倒くさくて注意しませんでした。先日のようにバカみたいに一人でカッカして注意している自分を想像して「ピエロか」と思ったのでした。注意は、スタッフの仕事です。
ジムではタオル、ウエア、シューズをレンタルできるのですが、その返却ボックスにバスタオルが何枚も投げつけられていて中に収納されていません。私はこういうだらしないのが嫌いで、全部ボックスの中に入れました。何度もありますよ。だらしないやつが多いなと思うと同時に「俺ってこんなに几帳面だったのか」と思わされ自分で自分が嫌になりますね。
だから疲れやすいのかな。筋トレだけで疲れるのでなく、やらなくていところまでやってしまって疲れるのかもしれません。それでなくとも独り者の私は、なんでも自分でやらなければならないので。
それでも思い出した。若い頃、つくづく「自分は損な性格だ」と思っていたことを。
南無阿弥陀仏
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