59歳になる年にリストラされて以来、組織に入らず家飲みの酒代程度の稼ぎにしかならないクラウドソーシングをやったり、ブログを立ち上げたりする以外、ジムでの筋トレと図書館と登山で生活のリズムをとってきました。
そういう生活も今年でもう4年目に突入。この間自分の生活には後悔はありませんが、ベストだったかというとちょっと考えてしまいます。
というのは、退職した当時は、もっと色々な山へ行く予定だったし、筋トレももっと筋肉が付いているはずでした。(摂取カロリーと消費カロリーのバランスが大きく影響しています。)
ブログも当初既存の運営サイトのブログでしたが、wordpressを使い個人で立ち上げました。しかし、その広告収入で生活の糧を得るという目標は、私がエベレストに登るような有りえない状況にあります。
以前ハローワークへも通ったことがありますが、59歳以下の年齢制限は超現実的です。しかも、中には掘り出し物もあるかもしれませんが、基本的にハローワークはブラック企業の募集ばかりで外資系の会社はほとんど中国・韓国系です。
民間の派遣社員登録(貿易関係の事務職)もしましたが全く「お呼ばれ」しませんでした。やはりジジイはお呼びでないのです。あるいは私の経歴が酷すぎるのかも。
退職当初は人材会社から何社も正社員としての引き合いはありましたが、意に沿わない会社ばかりだったので断っていました。もう無理して組織には入るつもりはなかったのです。
それでもっと別のやり方があったのではないかと何かフッとした時に、考えることがあるのです。
過去を振り返っても意味がないとわかっているのですが、何かのちょっとした「間」がある時考えてしまうのです。
こういうふとした「間」は「魔」であり、経験上ろくなことを考えません。だいたいがネガティブな考えです。特に夜の闇の中ではそうです。
経済的貧困による死への不安
それは漠然とした死への不安なのです。いつ死ぬのか、その死は病死なのか、事故死なのか、あるいは自死なのか。今年62歳になる私はそんなことを考えるのはちょっと早すぎるのかもしれません。
私が死ぬまで経済事情は許すのか。私の計算では以前記事にも書いた通り、あとせいぜい9年、好き勝手に行きたいところへ行って好きにお金を使えばあと5年で枯渇します。
こういった状況下で私は、好きなように生きあとはその時次第なるようになれといった生活をすべきか、なるべくお金を節約して(長生きしたくないのに)長生きしてしまう状況に備えるべきなのか。
気持ちは前者なのですが、性来の小心者なので(長生きするかどうかもわからないのに)お金がなくなったらどうしようと不安になって思い切ったことができないのです。
その「見えぬ死」「予想できぬ死」のために判断が鈍ってしまうのです。
さらに、やはりここはまだまだ働くという選択肢もあります。
好き嫌いは言ってられないのか。
いずれにせよ、そろそろどちらかに決めないといけない状況になってきています。
体が動けなくなるという不安
それともう一つの不安。それは自分の体が動かなくなってしまったらと考えることです。
今は筋トレをやって筋肉がつく自分の肉体の成長を見るのが楽しいのですが、やがて筋肉というより内臓、関節や脳など筋肉以外の部位に不具合を起こし文字通り身動き取れない状況になることへの不安。
私の今の心境では人の手を借りないと生活できないようであれば自死した方がマシなのです。
既婚者で子供を持った人は、おそらく子供の世話になりたくないと思いつつもどこかで自分たちの子供に期待あるいは依存しているのではないでしょうか。
山に登っているときに高齢者の夫婦がもうあと何度登れるのかねぇ、なんて話している聞くと寂しくなります。他人事ではないからです。
登山をするから健康というよりも健康だから登山できるのです。
自分の意思で思うように動けなくなったら本当に安楽死の世界ですね。
公共機関への相談もありだけど…
こういった状態の時は地元の市役所、区役所のような公共機関に相談することも可能です。
地域によって名称は異なりますが、高齢者支援課、生活保護課などがそれに該当します。
私もいざとなったら相談に行くかもしれません。一人の知恵・情報より複数の情報の方が多いはずですから。ただし、そこはやっぱりお役所です。所詮他人事ですからどこまで対応してくれるかわかりません。
また、ネットなどで良く見かける退職金を元手に「老後資金を増やせる方法を教えます」的な話には用心しましょう。大抵、何らかの会員登録の勧誘などが付いておりいいカモにされます。
本当にお金が儲かるのなら誰にも知らせないでしょう。欲をかかないことです。
私のように金もうけが下手な人間は、それを自覚しているので一切その手の話には一切関わりは持たないようにしています。借金がないのが唯一の救いです。
それにしてもオレオレ詐欺とかアポ電詐欺とか引っかかる人に対して何が驚かされるかといって何千万円もよく老人がお金を持っているということです。
それでも朝の来ない日はない
夜の闇にはろくなことを考えませんが、生きている限り必ず誰にでも朝は来るのです。「ふとした間(魔)」にも負けない明るい日差しの朝は来るのです。
おそらくこの夜の魔に負けた人の行き先は墜落、最悪自殺となるのでしょうね。
だから無視するに限ります。「今考えていることは明日の朝には忘れる」「明日になればきっともっとマシなことを思いつく」と考えることです。
しかし、こういったネガティブな考えは、残りの人生においてこれからも何度も繰り返しでてくるでしょう。人間誰しも弱気になる時はありますから。
自戒を込めて、必ず朝は来るのです。毎朝起きて食後に外出すると解放感でホッとする自分がいます。
私の場合、閉ざされた狭い空間にいること自体が問題なのかもしれません。
やっぱり私にとって「外に出て動くこと」。これが一番の心理的対処法でしょうね。
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