社会

母行方不明というメールが届く!認知症の母は雨の中どこへ?

昨日午前9時頃その先日の登山で筋肉痛が残る体でジムへ行く準備をしていると携帯に実家の姉からメールが入りました。

母行方不明」の文字。

認知症のお袋がまた何かやらかしたらしい。

母行方不明

午前7時頃にお袋が外出して行方不明になったと姉からメールが入りびっくり仰天。

雨の中、傘もささずおまけにマスクをしないで外出。肺炎が心配と書いてありました。

交番にも届けたそうだけど、おそらくマンションの近くにあるあの交番でしょう。

私は「90歳が雨の中傘もささず、マスクもしていないのなら目立つから通報があるのでは」とメール。

まもなく姉から「高速バスで小樽の見晴で降車したことまでわかったがその後脚取りつかめず」とメールが入ってきた。

財布を持っていたのか?傘もマスクも持っていないのに。

バスに乗って小樽?しかも「見晴」ってどこ?

それにどうやってそこを降車したなんて分かった?

よく理解できないけど、細かいことは後回し。

お金のことを姉に問いただすと

「財布とサピカ(交通ICか?)を持って出た」そうです。

認知症患者の思考はよくわからない。

数時間後、姉から下記のメール。

「見つかった。裏参道のマンションの管理人さんが保護してくれている。これから迎えに行く。」

札幌から小樽に行ってまた札幌に戻ってきた?

どうなっているのかさっぱりわからず。

裏参道のマンションの管理人に保護されたということは、自宅のあるマンションと間違えて入り込んだのだろうと推測できる。

過去徘徊して自宅マンションに入れなくなったことあり。

「良かった」と返信すると、

「半月前から急に(認知症が)進行し、自分の神経も限界なのでケアマネと相談して9日〜11日までショートステイしてもらう」と姉のメール。

さらに「どんな波乱があるか不安」とも。

どんな「波乱」というのはお袋が施設系に行くことを極端に嫌がり暴れるから。

同じマンションに住む高齢者からデイケアに行くので一緒に行きましょうと言われても断固拒否した母親です。

ショートステイとは短期に老人ホームなどに入所すること。

老老介護の行く末

「施設に入ってもらった方がいいのでは」と返信。

これは数年前姉に言ったことなのですが、姉からは「あんたは冷たい」という返事だったのでその後何も言わないできました。

しかし今回は何も言ってはきませんでした。

老老介護は共倒れの可能性が高いのです。

年末実家に行く予定でその辺の話も出てくるでしょうが、今から気持ちが重くなります。

母親90歳。姉67歳(独身)。

最近偶然目にしたデジタルニュースでは同居人が他の同居人の死亡に気がつかない「同居内の孤独死」した人が2017年〜2019年の3年間で東京23区と大阪だけで538人いたそうです。

同居人がなぜ気がつかないかというとその同居人が認知症患者だからです。

死んだ人も何らかの病人、もしくは老衰だったかもしれません。

あるいは両方とも寝たきりだった可能性もあるでしょう。双方とも介護が必要だったかもしれません。いろいろなケースが推測されます。

今後ますますこのような事例が多くなるでしょう。

私のような独り者からすると決して他人事ではなく明日は我が身なのです。

家族と同居していても上記のような認知症や寝たきりの人がいる家庭も同様です。

高齢化に伴いいろいろなことが起こります。

8050問題」というのもあります。80代の高齢者の親と50代の引きこもりの子供が同居して高齢の親が亡くなった場合引きこもりの50代はどうなるのか、という問題です。

現在の日本では高齢者の9割は病院で死を迎えます。圧倒的多数の日本の高齢者は自宅では死ねないのです。

しかし独り者が自宅で孤老死したり、同居人がいても狐老死したりする人が今後も増加するでしょう。

元気なうちに対策を立てておく必要があるのです。

自分の終末をどうするか

私のような人間はこのような事態を防ぐためにはどうしたらいいのでしょうか。

独り者の私は、

「一にも二にも病気をしないで健康でいること」

「ある程度経済的に余力を残しておくこと」

さらに付け加えれば、私は苦手ですが

「周囲に親しい友人、知人を揃えておくこと」

このあたりがしっかりしていれば終末も安心でしょう。

不安があれば各自治体の高齢者支援サービスに連絡すればいいだけのことです。

終の棲家にしてもある程度経済的余力がある時に決断したほうがいいのでしょうが、私の場合東京にずっと住みたい派なので田舎に定住することは難しいのです。

しかし東京の家賃は高い。本当、頭痛のタネです。安価な住居は隣室との壁がペラッペラです。今でも上階の生活音で苦労しているのに。

世界中ネットで繋がっているので東京でも田舎でも問題ないといえばそうなのですが。

毎年年末に行く実家のある人口200万弱の札幌でさえ田舎くさく感じます。

結局「自分は何をしたいのか」ということに尽きます。

現時点で私の生活の中心はジムで筋トレ、登山、ブログの3本立ては変わらず。

そうであれば地方都市あるいは海外でも問題ないはず。なぜ東京に固執するのか。

やっぱり長年住み慣れたということもあるのでしょう。でもそれだけか。

日本の政治経済の中心地にいたいという地方出身者にありがちな精神がまだあるのかもしれません。

私には発想の転換が必要なのかも。

いずれにしろこのままではまずいというのは実感します。

生きることは難しい

老老介護は両人ともに不幸にすると思っています。医療施設、自治体を巻き込んで適切な処置が必要なのですが、それを邪魔するのが個人のプライドです。

自治体や親戚に相談することができなかったり、介護しなかった場合の後の後悔をしなくない感があったり様々です。

しかし心身には限度があることも事実。

たとえが良いか悪いかわかりませんが、働いているシングルマザーが朝通勤途中に子供を幼稚園に連れていって保育士に我が子を預けようとするとその子供は泣いて母親から離れようとしません。

しかし、母親は仕事があるので後ろ髪を引かれる思いで子供を幼稚園に置いていきます。

そうしないと母親はきちんと仕事ができなくなるからです。

もしなく子供の言う通りにしたら子供と母親双方とも経済的打撃を受けるでしょう。

それと同じように老老介護では介護する側が心を鬼にしても介護される側に施設に入ってもらうしかない場合があるのです。

しかし介護する方もいずれは介護される側になるのです。

全ては順番か。

私も現在筋トレで筋肉が少しずつ肥大しており、山も年齢の割に登ることができますがこれが年齢を経るに従って段々そうもいかなくなってくるでしょう。

それが緩やかなカーブ(時間)でそうなれば私の心もそれに従ってそれ(老化)を容認することができるしょう。

しかしそれが急激に来た場合は、それが死であれば問題ないのですがそうでないならば、心がそれを容認できず悲惨な目に合うことでしょう。

願わくば私の身体の老化は緩やかにきて欲しいものです。

しかしこれは長生きしたいというわけではありません。長生きしたいとは全く思いません。

なんとも思う通りに生きることは本当に難しい。

脳科学者の中野信子さんは「生きることに意味などない」と科学者らしく言っていましたが、強いて言えば「生き延びることに意味がある」とも。

これだから人は「神」を造ったのですね。

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