NHKラジオの英語講座で下記のような会話がありました。
「中年の危機」というタイトルで、
「老化」「死すべき運命」「人生における目的意識の模索」にもがき、その過程で不幸だと感じたり不安を覚えたりするのは、珍しいことではありません。
人々が中年の危機を経験する大きな理由は外的な要因ではないでしょうか。はるか子供時代にまでさかのぼる問題であってそれまで一度も適切に解決していなかったことが突然表面化しているのかもしれません。
……中年の危機は要するに、「すべての自分の夢や願望をかなえられることはないだろう」と痛いほど気づくことです。
でも大抵の人はやがて、それでいいのだと理解するようになって、人生を楽しむということをまた続けるのです。
と書いてあります。
2番目の引用文はなんだか意味深でわかったようなわからなかったような。
なんだか作者の実体験のような気もします。
ここでいう「中年」というのはおそらく40代、50代半ばまでのことでしょう。
私は「自分の夢や願望がすべてかなえられない」と考えるようになったのは50代前半だったような気がします。
ただしそれでもこれまでの人生は目標の70%は達成しただろうとも思っていたので別に悲観的になることはありませんでした。
それよりも今後の人生をどうするかということでジムと登山とPC1台でできる仕事が中心になるだろうと思ったのが50代の終わりです。
ここでいうPC1台でできる仕事とはブログなどのネットビジネスです。
そして今現在それを進行中なのです。残念ながら未だネットビジネスで稼げるようにはなっていませんが。
私がこの教材の中で「へぇ〜」と思ったのは、こういうことが教材になるということは中年期にこんな風に考える人が結構多いのかもしれないということです。
「老化」や「死」について考えるようになったのはやはり60歳前後でしょうか。
私が興味を持つ脳科学者の中野信子さんは日本人は物事をネガティブに考える傾向が強いと言っています。
おそらく日本の国土面積に比べて台風、地震、火山、津波などの自然災害が世界中の中でダントツに多いからでしょう。
その発生件数は全世界の10%で、その被害総額はダントツにトップクラスです。
このように自然災害が多いと未来に対してネガティブになりがちでそれが遺伝子に刷り込まれているのではないでしょうか。
しかし、別の言い方をすればそのネガティブな考え方によって将来の不安を防ぐべく予防策(対策)を立てる習慣を持っているとも言えます。
つまり日本人は今を生きるというより将来の不安を払拭したいがために将来を見越して考えながら生きているのです。
そのため「今を楽しむ」ということが苦手(不安)なのかもしれません。
年金を預金する高齢者がいるのもその理由です。予測できない未来に対する不安からの行為です。
余談ですが私も経済的不安から今現在靴底がすり減った靴を見て新しい靴を買うべきかまだ我慢すべきか悩んだりしています。
会社員時代だったら迷うことなく買っていただろうに。
なぜ靴の話をしたかというと、昨日夕方地元駅で電車を降りると年齢は50代後半だと思いますが左足に小さなバッグを入れて靴代わりにして足を引きずりながら電車に乗り込んだ男性を見たからです。
衝撃的です。ホームレスには見えませんでしたがよくわかりません。
靴も買えない人がいるんですね、世の中には。
新宿駅近くのホームレスのほうが物持ちがいいですよ。最近のホームレスは本当にリッチな感じがします。新しいスーツケース、黒い帽子(キャップ)、黒いウエアに黒いマスクをした若い男性。
なんだか本当にホームレスなんだかよくわからない人たちが増えてきました。コロナ禍による「にわかホームレス」なのかもしれません。
このような人たちを見ると自分はまだ恵まれているのかもと思ったりしますが、比較する対象が「レベル低くすぎるだろう!」と自分で突っ込んでもいます。
はっきりした余命が分かればそれに合わせた金銭の計算ができるのですが誰もが自分の余命はわかりません。
たまにはワインが飲みたい、ウイスキーが飲みたいと思っても我慢我慢。
いくつも小さな穴が開いた薄手の登山パンツ。新しいのが欲しいけど我慢我慢。
メガネのレンズに傷がだいぶ入り周囲が見づらくなって新しいレンズが欲しいと思っても我慢我慢。
普段へそあたりまでしか入れないバスタブのお湯にたまには肩まで湯船に浸かりたいと思っても水道、ガスの節約のために我慢我慢。
宿に前泊すれば行きたい山にも早起きしなくてもいいのに節約のために宿代節約のために我慢我慢。
それでも明日死んでしまったらどうするのだろう。
この記事へのコメントはありません。