60歳を前にして退職。その後登山とジムでの筋トレとブログ作成に打ち込んできましたが、登山は下山時走って右膝が変形性膝関節症になり一時中断。筋トレとブログが生活の中心になりつつあります。
もっと走りたかった、駆けたかったという想いがありますが日常生活にまで支障がくるようでは問題です。現在リハビリ中で軽い負荷で下半身の筋トレをしていますがいまだ平地を歩いても右膝に違和感、鈍痛がするときがあります。
この間いろいろな方が亡くなったことをPCやスマホを通じて日々止めどもなく流れるネット情報で知ることとなります。
死は日常茶飯事という事実
有名人の死亡記事がネットで流されるのを垣間見て「あの人はまだ生きていたんだ」、「病状が長かったなぁ」「あんな病気で亡くなったんだ」とか様々な思いを持っても次々に流れてくる新しい情報でその情報は感情とともに過去のものとなりどんどん下流に流されていきます。
死は日常的に起こる出来事で別段珍しいことではなく生きている人間の生活の中では当たり前のことだったのだと改めて感じます。
ただ普段自分には人の死が直面しないだけなのです。
母の死
最近実家の母親が亡くなりりょう年90歳でした。認知症を患いその程度がひどくなり専門病院に入院した10ヶ月後に亡くなったのです。
末期に会いに病院へ行きましたがもはや意識もなく以前の母親と比較にならないほど痩せ細った姿になって驚きましたが持ち直したらしくその3週間後にまた姉から連絡が入り亡くなったことを知りました。
神経性の拒食症になり点滴で生きていたので血管はボロボロ。針を刺すところがなくたったそうです。
実質入院は10ヶ月でしたが実際は認知症による徘徊がひどく警察への捜索願も出したほどです。その間家の内外で転んで骨折数回。
祖母の死
一方かなり前に亡くなった祖母は頭はしっかりしていたのですがこれまた家の中を杖をついて歩いていて脚の骨折2回。その後老人病院へ入院したまま帰らぬ人に。しっかりしていたのは頭だけでそれより下は病人状態。
途中から鼻の穴にチューブを通して栄養分を入れるのですが無意識のうちにむずがってそれを手で払い取ろうとするので手首をベットに紐で縛ることも。
10年後病院で老衰で亡くなりました。りょう年95歳。
登山での死
ときどきデジタルニュースで登山中の遭難死の記事が流れてきます。
中高年者が多くソロ登山、グループ登山と様々ですが無計画、疲労、油断(過信)のいずれかが当てはまるでしょう。
誰も死に行こうとして登山するわけではありませんが人は誰でも意外と簡単に死んでしまうこともあるのです。
死後発見されれればそのまま自宅に戻るか斎場に直行になるのでしょう。
本人は死んだら土に還るだけです。
しかし遺族は慌ただしく葬儀の準備をしなければなりません。
趣味の登山で楽しんでも滑落死、遭難死すると残された家族の負担は大きくなリます。山岳捜索隊だってタダではななく人件費、消耗品費などはしっかり取られます。
私は誰にも登山の仕方を教わらず100%ソロ登山でしたが小心者なので初めて行く山には低山でも登山ルートやエスケープルート、公共の交通機関の時刻表などはしっかり調べました。
最もテント泊が思ったより楽しくなかったのですぐ日帰り登山に切り替えて1000〜2000mの低山ばかり行っていたのですが。そして山で走ることに目覚めたおかげで変形性膝関節症になってしまいましたが。
いずれにせよ自分でも思わぬ死に方というものはあるのです。
長生きはしたくないが
自分の身内の死に方を見てきたせいか私は長生きはしたくはありません。
病院で長期入院して全身チューブ漬けにはなりたくないのです。
密度の濃い人生はそれほど長くは続かないでしょう。
身体的に不自由になっても施設に入るお金もないしたとえあったとしても入りたくはありません。
以前友人に「山で駆けることができなくなったら(私の人生は)おしまいだ。」と言っていました。
現在その状況になりつつあり正直に言ってもう私の人生はおしまいかと思う時もありました。
それでも日常生活には格段の問題はないのでやり残した感を持ちつつもなんとか生きているという感じです。
私の今後の生活信条は
・ジムでの筋トレで生活のリズムを掴み、健康的に生きる
・無理せず筋肉肥大を狙いその成果を実感する
・書きたいことをブログに書き続ける
・歩く登山を復活させる
・できる限り一人暮らしをする
・今日という日を精一杯生きる
でありほぼ今までの生活の延長となります。
最後の「今日という日を精一杯生きる」は限られた時間枠の中で無駄に生きないようにしようということですが別に力んでるわけでも効率優先でもありません。
だんだん淡々としてくるものですね。
私の理想の死に方
上記のような生活信条を守りつつやがて病気になり数日〜1週間以内で苦痛もなく亡くなるというのが理想です。
つまり死の1週間前までは病気の自覚はないほど健康的であるということです。
そのために上記の生活信条が大切になってきます。
特に一人で歩けること、食事を作ることができることが大事です。
死に方は生き方にも通じるので常に動ける身体を維持できるようにしたいと思っています。
死亡年齢は70代前半といったところでしょうか。
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