今日も猛暑日という予報でしたが曇りのせいか昨日に比べれば意外にも涼しく感じました。
ところで、先日終わった都知事選は予想通り現職の小池さんが当選。メディアは圧勝と言っていますが、前回よりは100万票以上減らしています。権力(政治家、大手企業)に忖度するテレビ局や新聞社のいやらしいところが出ていますね。
あるいはSNSで勢力を伸ばした石丸さんへの既成のポンコツメディアのジェラシーかも。
都知事選順位は予想通り
投票数順位も私が予想した通り、というか大方の予想通りなのか、1位小池さん、2位石丸さん、3位蓮舫さんになりました。
やはり現職は強いですね。
学歴詐称は問題なのでしょうが私はそれより小池さんが一体2期8年間で何をやったか、できたのか全く思い浮かばかいことの方が問題です。コロナ禍でも都のお金をジャブジャブ使ったという認識です。神宮の並木道の伐採問題も開発業者任せの回答でした。この問題をテレビ会見で見たとき本当無責任な人だなと思いました。自分で認可しておいて開発業者にお聞きくださいとは何事?
御年71歳。3期目で後4年。75歳までやるらしい。たるみ切った顔を見てももう立派な老人です。どうして政治家は高齢になっても権力にしがみ付こうとするのでしょうか。美味しいことがあるのでしょうね、きっと。権力を持っているものだけが知り得る快感があるのかも。
他にやることないのかね。
当選できるわけがない蓮舫さんはどうして都知事選に立候補したのか
立憲民主党に押されて立候補したと言われた蓮舫さんはなぜそれに同意したのでしょうか。
まさか本気で当選できると思っていたのでしょうか。
蓮舫さんは他人を非難するばかりの人としか印象がなく都民どころか国民に人気は全くない、同性からも嫌われるようなタイプです。それがどうして勝てると思ったのか。錯覚したのか。
立憲民主党が日本共産党と共闘という選択をして敗戦を招いたとも言われますが、そもそもなぜ国民の支持が非常に薄い日本共産党と共闘しようと思ったのか。立憲民主党の戦略ミスというよりは何か時代を読めないおバカ集団としか見えません。
しかも私の地元でも駅前で共産党党員たちが「知事選は蓮舫!、蓮舫!」と毎日のように連呼していました。表向きは共産党員であることは伏せての活動ですが、マイクをもって連呼しているのは地元の共産党市議でしたからすぐわかりました。
共産党と共闘する政党に誰が応援するでしょうか。立憲民主党も共産党も時代が読めないのです。本当古臭い、旧時代の人間の集まり。
ではなぜ蓮舫さんは都知事選に立候補したのか。
・小池都知事を担ぐ自民党が脱税問題で国民から脱兎の如く嫌われているので表立って応援できないから
・地方選で自民党推薦が悉く落選しているから
・反小池知事が多数いるから
・万一落選しても秋の衆議院選で当選できると思っているから
こんなところでしょうか。
結果は彼女の読みが浅かったわけです。
小池さんに投票した人たちは高齢者
一方小池さんに投票した人たちの多くは中高年のひとたちでした。
安定した都政によく知られた顔。それに比べ他の立候補者たちは人を非難してばかりの冷酷な蓮舫、見たこともない石丸に右翼的と見られがちな自衛隊出身の田母神。
無成果の小池さんでも当選するわけです。
日本人は変化を好まない国民性があると言われていますが、その中でも日本の中高年は変化を好まない傾向にあります。
特に高齢者は(紙の)新聞とテレビから情報を得ようとし、若者はSNSから情報を得ている傾向が強くあります。
新聞・テレビ vs SNSの構造で、高齢者 vs 若者とも言えます。
私も前期高齢者になってしまいましたが筋トレをしているせいで筋トレ動画をよく見ていると自然にショート動画なども目にするようになって石丸伸二さんを知るようになりました。
おかげ?で広島県内の市長をしていたときのショート動画をよく目にしました。別段目にしようと思ったわけでもなかったのですがね。
結局私は消去法で石丸伸二さんに投票したのです。石丸伸二さん自身が政治家向きだとは思えないのですが、他の候補者よりは何かやってくれるのでは、掻き回してくれるのではないかと期待したのです。
残念ながら次点になってしまいましたが。それでも新聞社やテレビ局が推していなかった立候補者が次点になったことには意味があります。
今の新聞やテレビがどれだけ真実を隠して報道しているか、どれだけ権力におもねっているかに対して全く疑問を持たない人は高齢者に多いのです。
高齢者が老害と言われる前に
上記の通り小池さんに投票した高齢者が多くいたという結果には全く驚きはありませんでした。
加齢に従って人は徐々に既存の生活に慣れてしまい、たとえ何か問題があってもあまり改革を好まなくなります。さらにひどいのは問題の存在そのものに気が付かないことです。
変化を好まないということはそれ自体が面倒くさいというより自分がその変化に対応できるかどうかわからず不安や恐れを抱いているからです。
間も無く死んでゆくものとこれからも生きなければならないものはその生活の考え方に相違があるのは当然と言えば当然です。
高齢者はなんだかんだと言ってもその生存競争のなかで生き残ってきた人たちです。しかしその生にも限りがありやがて消えゆく生に不安を感じ取っている人たちでもあります。
若者はその生存競争のなかで生き残っていけるかどうかまだわからない人たちです。しかしその現在と未来に不安を感じながらもその生には力があります。
高齢者には経験の蓄積があり若者には体力と未来があります。
そして双方に必要なのは「知的好奇心」です。
SNSにも問題点はあります。読者を短絡的思考にさせてしまうことです。物事を深く考える行為を時短してしまっているのです。
若者も中高年者も好奇心、探究心が持てる仕事、生活をしましょう。
そうすれば自分たちの生活の充実度はもっと高くなるでしょう。
終わりに
不変なことは「生あれば死がある」ということだけです。
あとは自分次第、運次第。
ある程度の努力とある程度の運。
この比率は日本では努力>運ですが、一部の他国では運>努力となります。
そういう国はあまり仕事に専念しませんね。やたらにデモやストライキが多い国に多いと感じます。
どちらがいいかはわかりませんが。
私の場合の知的好奇心とはやはり筋トレに関する知識になるでしょう。いつも栄養学、生理学(ホルモン分泌など)や解剖学(筋肉や骨格の働きなど)に関心があります。
?マークが付く情報もありますけど。
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