雑記

筋トレと登山だけが不安と恐怖を忘れさせてくれる

毎日のようにネットを見ています。何の疑いもなく見ています。世界を知りたいとの思いもありますが、忙しいならば見ないでしょう。だからネットを見るということは暇なのです。

「忙しい」という状態は、あまり余計なことを考えないという意味では良い事です。

一時的だけど継続する満足感

ブログで私はジム(筋トレ)と登山で一時的な満足感を得ていると書きましたが、この2つは今の私の生活にリズムを与える重要な活動です。心身ともにリフレッシュします。「一時的な満足感」でも継続して行っていればその「満足感」も継続するのです。したがって私は継続して満足感を味わっています。

これって幸せなことでしょう。そうすると私は幸せな時間が継続しているということになります。しかし、そうであればなぜ不安になるのでしょうか。昨夜もお酒を少し飲みすぎたせいか何か嫌な夢を見てしまいました。

お酒を「少し」飲みすぎるとレム睡眠が多くなり眠りが浅くなって嫌な夢を見ることが多くなるのです。「少し」と書いたのは年齢的にがぶ飲みはできないのでいつもより焼酎であれば1杯余計に飲んでしまったという程度です。

経済的不安感

それでも心のどこかに不安感があるのでしょう。それが脳内にある過去の情報を色々つなぎ合わせて「夢」になって出てきます。朝になってその内容を覚えているのもあれば「いやな夢を見た」という認識だけを覚えている時もあります。

この「不安感」というのは明らかです。「今後いつまで今のような生活ができるのだろう」ということです。経済的な不安感はいつもつきまとっています。

これは40代の会社員時代からあったもので今に始まったものではありませんが加速度的にその気持ちは強くなってきています。55歳前後から仕事をしなくなったら後何年生活できるかという計算ばかりしていたような気がします。

つまり20年間、経済的不安感を持ちつつ「生きている」わけです。今後残り10年、20年(生きていたくはないけれど生きてしまったならば)も同様に不安感を感じつつ生きるのでしょう。それが現実のものとならないように願って。

こういう感情が強くなってきた時ははいつも「動け」「動け」と自分に言い聞かせています。「動く」=「活動」することのみ不安を払拭させてくれるからです。

組織に入るのが、人に使われるのがもう真っ平になったのでなんとか自営で生活できないかと考えているですがなかなかうまくいきません。

私の登山は筋トレより心身に刺激を与える

私は筋トレの方が山よりも生活の中に入り込んでいます。筋トレの成果を山で試しているという感じです。しかしどちらが心身に刺激があるかといえばやはり登山になります。

ジムには月・水・金の午前から午後にかけていくのでジム内で見かける人もだいたい同じ人たちとなります。

これが登山では行く山も日も異なるので同じ人を見かけるということはほとんどありません。「全く」と言わないのはたまに「あれ?この人とどこかの山であったな。」と思う時があるからです。

山はガレ場、ザレ場、木の根などの不整地を上り下りし、道幅の狭い場所、鎖場、ハシゴなどいろいろな場所を通過しなければなりませんので筋トレよりはるかに集中力、注意力が必要になります。したがって脳や身体に新鮮な刺激を与えるのは筋トレより山です。

私は日帰り登山しかしないので自宅から行くことができる山も限られています。なぜ日帰りかというとテント泊・小屋泊になるとザックが重くなるからです。サクサクと歩く方が自分の性格に向いていると山へ行くようになって思うようになったので軽量で行くことができる日帰り登山にしたのです。

もちろん遠出すると交通費が余計にかかるということも大きな理由になります。

さらにテント泊ではテント内での過ご方が「まったり」しすぎてせっかちな自分の性格に合わないとわかったからでもあります。登山を始めた頃はこの「まったり感」を求めていたのですがどうも勝手が違ったようです。

また何泊もする登山は食事面であまり健康的とは言えません。基本糖質中心になってしまうからです。

しかし、日帰り登山に飽きたらまたテント泊に行くかもしれません。小屋泊は苦手ですが。

このようにジムや登山に行くことができる今の自分には結構満足しています。満足しているのにもかかわらず、経済的不安感が日増しに大きくなっていきます。

私の中の老人拒否症

「イエについて行っていいですか」というテレ東の番組をたまに見ます。テレビですから当然ユニークな人ばかり集めています。その中でも80過ぎて東京で家賃3万円のぼろアパートで一人暮らしをしている老人を見ると非常に身につまされます。まさしく「自分の未来像」なのです。

私が長生きしたくない理由の一つがこの経済的不安感ですがそれだけはありません。会社員時代には全く興味がなく見えなかった風景、「社会の中の老人の風景」が見えるようになってきたからです。

私に見える老人の風景はとてつもなく醜く、悪臭を放ち、貧相で死人のように映るのです。街中でも、図書館でも、電車内でも、スーパーでも、ジムでも。

私は街中を行く老人の姿を見て自分の近未来を見てしまうのです。別段何か特別な能力があるわけでもない平々凡々な男である私は自分もあのような老人になってしまうんだろうなと思うだけで気が滅入ってくるのです。

だからそうならないうちに早く死にたいのです。日本人男性の健康年齢は現在72歳と言われていますが、このあたりまでに「ポックリ」いくのが理想です。

経済的不安感と老人拒否症が私を不安と恐怖に陥れ心をむしばんでいくのです。

そして筋トレや登山をしている時だけこの不安と恐怖を忘れることができるのです。

筋トレで痛めた左の肋骨の痛みで十分な上半身の筋トレが出来ないだけでストレスが溜まります。天候不順で山に行けない日が続いてもストレスが溜まります。

私が筋トレも登山もできなくなったら「自死」するしかないのです。

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