毎日喫茶店に行く私は様々な人を目にします。時には大げさではなく非常に驚き自分のこれまでの人生を考えさせられる場合もあります。
たとえが悪いかもしれませんがアフリカのジャングルの中にある小屋から外を眺めている感じです(アフリカには行ったことはないけど)。まさに人間動物園の世界。その中でたまに見かける特異な人に「知的障害者」がいます。
喫茶店内の知的障害の子供とその父親
昨日も郊外のドトールで知的障害者を見かけました。テーブル席ではなく向かい合って座るカウンタータイプの席ですが真ん中が大きな曇りガラスで仕切られており最低限の個別感を出しています。
そのカウンター席でブログを書いていると若い女性とその父親らしき人が曇りガラス越しに私の斜め向かいに座りました。
その女性が帽子(キャップ)を脱ぐと長い髪がほどけてまだ学生のように見受けられましたが、どうも様子がおかしいのです。落ち着かず突然意味不明の大きな声を出したり体をのけぞらせたりするのです。
父親が耳元で必死になんとかささやいていますが、おそらく「静かにね」と言っているのでしょう。
女性はリュックから学校のテキスト?らきしものを出して勉強を始めたのですがまたすぐ奇声を発します。その度に父親が耳元でささやくのです。
その女性の隣に座っていた30歳前後の男性はたまらず帰って行きました。その後まもなく別の40代後半と思しき女性がその席につきタブレットやレポート用紙を出してなにやら仕事?をし始めましたが、初めは隣の知的障害者の奇声に驚きつつも席を立つことはせず仕事を続けます。
その間父親はずっとカウンターに肘をつき両手で顔を覆っています。周囲の奇異な目にさらされていることからくる羞恥心、なぜ自分の娘がこんな風になったのか、なぜ自分はその父親なのか、これからどうしたらいいのか、そう考えていたのかもしれません。
その苦悩する雰囲気は曇りガラスからでも容易に見受けられます。
さらに知的障害の女性がのけぞりはじめ奇声を発すると隣のあの40代後半の女性は落ち着かせようとしてか知的障害者の女性の肩をポンポンと軽く叩き仕事をし始めました。知り合いに知的障害者でもいるのでしょうか。とても落ち着いて慣れた感じでした。
しかし、その知的障害者はその女性に触られると恐怖のような引きつった表情をしながらその女性を見つめました。
父親の方はいたたまれなかったのか喫茶店を後にすることにし、娘もリュックにテキストをしまい始めました。
しかし、ここでまた娘は立って大声で奇声を発して店内を移動してはジャンプ、どうしてはジャンプ(地団駄<じだんだ>に近いジャンプ)を繰り返しました。
その顔は悔しそうな泣きそうな顔でした。なぜ泣きそうな顔をするのか。喫茶店を出るのが強制的で自分の意思ではないからか、自分の意思に反して勝手に体が動いてしまうからなのか、それとも他の何かか、私にはわかりません。
見かねた父親は娘を抱えるようにして外に出て行きました。その時父親は鼻水をすする音が聞こえました。一切周囲を見ません。あれは間違いなく泣いていました。
この間10分程度です。10分しか喫茶店にいませんでした。いや、いることができませんでした。
もし私が知的障害者の子供を持ったら
独り者の私には自分の子供がいませんので子育ての大変さは想像でしか理解できません。まして知的障害の子供を持った親の苦労などは想像を絶するでしょう。
そもそも私は子供嫌いで電車内、喫茶店、本屋で泣き叫ぶ子供を見るとケリを入れたくなる性格なので「子供を育てる資質はない」とハナからと自覚しています。
それでももし子供を持ちその子が知的障害者だったらひょっとしたら将来を悲観して首を絞めて殺してしまうかもしれません。
あるいは世間体を気にして家に隔離してしまうかも。そして自分がなぜこんな目にあうのかと周囲に悲壮な雰囲気を漂わせて生涯を終えるのかも。
知的障害の子供を連れ立って外出する親に共通するのはどれも顔の表情が厳しいということと周囲の人と目を合わせないことです。
親はそんな子供をふびんと思っても可愛いと思うのでしょうか。
あるいはそんな感情を突き抜けて愛おしくなってくるのでしょうか。
願わくば変な宗教団体に入って金を巻き上げられないようにして欲しいものです。
電車内の知的障害者のグループ
知的障害の女性が移動してジャンプしたので思い出しましたが、つい先日電車に乗っていると知的障害者のグループに出会いました。
私がいつも利用する電車では週末たまに見かける風景でおそらくどこかの停車駅に知的障害者の施設があるのでしょう。
まだ10代なのか若い細身の男の子が車内では奇声を発したりむやみに車内を走り回ったりしていました。その時は複数の引率者が小声(たまに怒りを抑えた口調)で注意したりなだめたりしています。一方で大人しくしている知的障害者もいました。
かなり前男性引率者がかなり大きな声で叱っていたこともあります。見ているだけで疲れます。
知的障害者は何を考えているのだろう
知的障害者は普段どんなことを考えているのでしょうか。昔男性の知的障害者とその母親を本屋で見かけたことがあります。その男性は20代といった感じなのですが手に持っていたのは「エロ本」です。その時私は母親の顔を見てしまったのですが、なんというか怒っているような厳しい顔をしていました。
母親としてはやるせないでしょうね。子供のエロ本の購入の付き合いに本屋に同行するなんて。
その子供はなんとも感じないんでしょうかね、その母親に対して。恥ずかしいとか。しかし知的障害者にも性欲があることは確かのようです。
彼ら彼女らの表情からは何を考えているのかさっぱりわかりません。
人生とか自分の今後とか老後とか考えたりはしないんでしょうね。そうすると将来への期待と不安という普通の感情は持ち合わせていないのでしょうか。
あるのは「今だけ」なのかも。知的障害にも軽度〜重度まであるでしょうから軽度の障害者は何か考えているのかもしれませんが。
日本には知的障害者は100万人
日本には知的障害者が100万人、精神障害者が400万人いると言われています。日本の人口を1億2千万とすると120人に1人が知的障害者となり精神障害者に至っては30人に1人の割合です。
確率で言えば120人と出会えばそのうち1人は知的障害者であり30人に出会えばそのうち1人は精神障害者なのです。
しかし現実にはそんな数には見えません。その理由は多くはそれらの専門施設にいたり在宅看護されていたりして外部接触が限られているからでしょう。
普段見慣れていない人から見れば知的障害者は本音を言えば極力出会いたくない人たちでしょう。
それでも現実には日本だけで100万人も存在しているのです。
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