最近左脚に違和感や痛みが出る日々が続いています。
コロナで7週間ジムへ行けなかったので突然始めた下半身の筋トレで脚がびっくりしているのか登山で下りに走るようになったからか、それとも単に加齢によるものなのか。
いずれにしろ年をとってきたんだろうなぁなんて考えさせられます。
そんな時自分は後何年健康でいられるのだろうなんてネガティブなことを考えてしまうのです。
目次
日本の平均寿命と健康寿命
日本人の平均寿命と健康年齢から介護が必要になる年数を算出すると下記のようになります。
男性:81歳(72歳)
→9年間(日常生活に支障が出る年数。要介護年数を含む。)
女性:87歳(75歳)
→12年間(同上)
上記はあくまで平均ですので個人差はありますが人生100年なんて冗談ともつかない話になってきていますのでこの介護を要する年数はもっと多くなってくるのでしょう。
日常生活に支障が出る年数とは主に歩行が困難になったり介護が必要になったるする年数を指しますが、複数の病院に通院することも含んでいます。
私が健康年齢(健康寿命)の72歳になるまであと9年。とするとジムや山へ行くことができる期間も残り9年ということになります。
この辺はあまり考えると気が滅入ってくるのでやめます。
もっとも健康寿命よりも経済破綻の方が間違いなく早いような気がしますが。
日本の医療制度は破綻する?
現在の日本の65歳以上の人口は30%弱ですが2050年には40%にまで到達するという統計が出ています。
そうなると新型コロナの死亡者数が世界的にも少なくて済んだ理由の一つである日本の国民皆保険制度はどうなるのでしょうか。
例えば現状75歳以上には後期高齢者医療制度が適用され医療費の自己負担は一般で1割です。(2割になるという話もあり)
例えば入院・手術して100万円かかったとすると自己負担は10万ですが、これに高額療養費制度があるので一般の上限では57,600円(入院),14,000円(外来)となり自己負担は100,000円-57,600円=42,400円の自己負担(払い戻しで)となる計算です。
そうすると1,000,000円-42,400円=957,600円は誰が負担するのでしょうか。
そう政府から支払われます。つまり1,000,000円のうち957,600円は税金から支払われるのです。
75歳以上の人が10,000人入院したとすると95億7千6百万円、
100,000人だとすると957億6千万円、
1,000,000人だと9576億円となります。
上記は単純計算ですが75歳以上の100万円の入院による医療費だけでこんな金額になるのです。
寝たきりやがんなどの難病で長期入院ならばその実質的な医療費は100万円どころではないでしょう。
これが65歳以上、あるいは入院・通院している日本人全てを含んだら一体どれだけの医療費がかかっているのでしょうか。
本当に大丈夫か国民皆保険制度は?
くれぐれも私が生きているうちは破綻しないで欲しいものです。
高齢者は本当に長生きしたいのか
先述のように年々人口比率が高くなる高齢者には膨大な医療費がかさみます。もはや税収入とは逆比例して増加しているわけです。
そんな中で高齢者は一体自分の寿命についてど思っているのでしょうか。
男性の場合健康寿命は72歳までですから残りの寿命の9年間は日常生活に支障を及ぼしやすい期間となります。
もしこの9年間を入退院を繰り返しベッドで薬漬け、チューブ付けになったと想像した時にあなたはそれでも長生きしたいと思うでしょうか。
難病指定になったり非常な苦痛を伴う抗がん剤を投与されたりしてまで高齢者は長生きしたいでしょうか。
病室が全て鏡張りだとしたら天井や壁から見る自分自身の姿を見てその高齢者は長生きしたいと思うでしょうか。
大病したり事故で大怪我をしたりして自分の寿命を察した時に、あるいは頭はしっかりしているけれども体の自由が利かず介護を必要とした場合その高齢者はまだ長生きをしたいと思うでしょうか。
現世にやり残したことがあるのかそれでも長生きしたいと思う高齢者もいるかもしれません。
しかし実際には入院で長期チューブ付け、薬漬けでもう死にたい、長生きしたくないと思っている高齢者も多くいるのです。
それでも薬漬け、チューブ付けになっているのは医師の延命措置があるからです。
医師は患者の延命治療しか考えない
患者の延命が最大の医師としてもミッションと思い込んでいる医師が実に日本には多いのです。
また逆に患者の意向に沿って延命措置を取らないで死亡した場合、その医師は自殺幇助や場合によっては殺人罪になる可能性もあるのです。
日本の医師は患者自身のためよりも自己保身のために延命治療を行っているのです。患者がどんな苦痛を感じようがとにかく延命しか考えていないのですから。
これではとても患者のためを思ってなんて言えません。
家族は世間体を考える
患者の家族も本当はもう延命治療して欲しくないと思ってもそれを医師に言うことがはばかれる雰囲気がまだ日本にはあるのです。
その理由は身内を安楽死させてしまったという罪悪感とそれを安楽死が十分理解されていない世間に知られる恐怖によるものです。
日本では死は患者本人の意志には関係なく医師や家族の意志が尊重されているのです。
日本の医師には再教育が必要なのです。
患者、家族、医師は乖離している
少なくとも私はチューブ付け、薬漬けになっても長生きしたいとは全く思いません。
そんな状態で何故長生きしたいと思うのか全く理解できません。
おそらくそういう状況下の高齢者は死にたいのに死なせてくれないというのが本音ではないでしょうか。
今この時も病室で「痛い痛い!死にたい死にたい!」と思っている高齢者は多いはずです。
患者、家族、医師の気持ちが完全に乖離しているのです。
これは日本の医療制度、死に対する尊厳を含めた倫理観の問題なのです。
一方で安楽死を認めている国もあるのです。
安楽死を認めている国
日本と違ってすでに安楽死を認めている国があります。またそこの安楽死協会へ登録してる日本人もいるようです。
ヨーロッパ
スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク
アメリカ
ニューメキシコ州、カリフォルニア州、ワシントン州、オレゴン州、モンタナ州、バーモント州
オーストラリア
ビクトリア州
アジア
韓国
かつて日本にも日本安楽死協会があり法律で安楽死を認める運動をしていたようですがいろいろな人権派や身体障害者団体からの猛烈な批判があって取りやめた経緯があります。
その後日本安楽死協会は日本尊厳死協会に名前を改めて活動しています。
まとめ
時々自分の体調が悪いとき考える死について今回は特に高齢者の長生きの問題をかいつまんでみました。
私もいずれ身をもって知らされる時が遠くない日に来るのです。
現時点で70歳程でお迎えが来てくれればいいなと思っています。あと7年ですね。
いつ死ぬかわからないのに死について考えることは無意味という言い方もできます。
一方で死について考えることは生について考えることだという人もいます。
どちらも正しいのでしょう。
いずれにしても自己のプライドを持って生き抜いていきたいと思うのですがなかなか自信が持てない自分がいます。
日本の医師、法律家、哲学者は尊厳死、安楽死についてもっと議論してもいいのではないでしょうか。
私は安楽死は日本でも認められるべきだと思っています。
また時々自分の頭を整理するために「死」「安楽死」「高齢者の死」について書いてみようと思います。
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